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明治36年(1903年)に日系移民の心のよりどころとして創建された『布哇(ハワイ)大神宮』。日本の神、ジョージ・ワシントン米初代大統領、カメハメハ大王もまつられる神社の岡田章宏宮司に人生の転機を伺った。

 

三重県の伊勢神宮から800メートルという場所で生まれ育ちました。実家は祖父の代からお守りやお札を作っていました。そのまま神道を歩みそうですが、兄が家業を継ぐことが決まっていたので、私は大学で経済学を専攻。クラブはボート部。就職は第1志望の企業1社に絞り、そのまま一般企業へ就職するつもりでした。ところが就職面接の当日、電車の事故があり、間に合わなかったのです。他に希望もなく、進路に悩んだまま卒業。ある日、母に付いて兵庫県の神社にお守りを卸しに行き、宮司と話していたときに、彼が私に言った言葉が私の転機となりました。「今、何もしていないのなら、神主になりなさい」。

沖縄のビーチでのアルバイトから神主へ

 宮司の言葉が心に入り、神主になろうと決心。修行を始めました。神職養成講習会を受け、実習では明治神宮や三重県の護国神社などで2年間修行を積みました。その後、父の知人に「友人を紹介するから、沖縄で社会経験を積んではどうか」と勧められ、沖縄へ行くことに。紹介された方は商人で、その手伝いとして私は観光客を相手にビーチで働くことになり、神道とは離れた暮らしをしていました。しばらくすると、その商人の方が、那覇にある波上宮という神社を紹介してくださったのです。海を望む高台にあり、そこで神主としての生活が始まりました。毎日竹ぼうきで掃除をし、台風からお宮を守り、また、場所柄、挙式が非常に多かったので、その対応をして5年ほどが過ぎました。

 沖縄は本当に良い方ばかりでしたが、独特の文化や風習になじめないこともしばしばありました。今後について考えていた頃、宮司に「ハワイの神社に行かないか?」と言われ、私は即決。1984年に布哇大神宮へ来ました。

お宮、ハワイの人、家族を守ることが信念

 布哇大神宮で先々代の川崎宮司と出会い、多くを学ばせていただきました。彼は戦時中、真珠湾に上がった黒煙を布哇大神宮から見たと話してくれました。その後FBIに連行され、米本土の収容所に送られる前、お宮に戻り御神体を携えると「中身を見せろ」と。「それはあなたたちにとっては十字架と同じものです」と説明し、理解を得たそうです。川崎宮司の教えは「一度決めたことは神の御心になって行う」でした。戦時中、布哇大神宮は接収されましたが、彼なくしてその存続はなかったと思います。

 川崎宮司の勧めで、私は英語を勉強するため大学に行き、コンピューターサイエンスを専攻して卒業。1987年に宮司となり、翌年に結婚。生活のこともあるので、25年間働きながら宮司を務めました。平日は仕事の他、お宮の管理、子どもの送り迎え、週末はお祓いや行事を担いました。

 ハワイに来て以来所属してきたハワイ日系人連合協会で、今年度は会長に就任しました。1年間のテーマに『信念』を掲げました。重責を担う会長として、また神職という人の将来に大きく関わる立場としても、信念を持って臨みたいと思います。

 5年前に大病を患った妻は、決して弱音を吐かない信念そのもののような人。気丈な妻ですが、彼女を全力で守っていくことも私の信念です。

2004年に父子で出場した謙志館剣道大会

 

 

おかだ・あきひろ

◎1948年三重県生まれ。皇學館高等学校、大東文化大学経済学部卒業。1976年国学院大学神職養成講習会を受講。1978年沖縄へ、波上宮で神主となる。1984年布哇大神宮へ。ハワイパシフィック大学入学。コンピューターサイエンス専攻。1987年布哇大神宮で宮司となる。1988年卒業。同大学に25年勤務。2019年6月連協会長に就任。

(2019年7月16日掲載)

※このページは「ライトハウス・ハワイ 2019年7月16日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

 

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