在留邦人の安全の確保や各種手続きなどを行う在ホノルル日本国総領事館。ハワイから遠く離れた中東地域の大使館で外交の担い手としての勤務を経て、今年9月ホノルルに着任した春田博己首席領事に転機を伺った。
私は二つの転機を経て、多くの方とは違った経緯で外務省に入りました。小さい頃から漠とした海外への憧れはありましたが、自分のキャリアについては具体的なイメージを持てずにいました。
最初の転機は、大学2年生のときに初めての海外旅行でオーストラリアへ行ったことにあります。シドニーにある大学に立ち寄った際、芝生にバロック様式の校舎が建つキャンパスに感動し「この地に戻ってきたい!」と思ったのです。そして首都キャンベラにある大学の大学院を受験し、進学。環境・開発学を専攻したことで、発展途上国からの学生などとの交流の中で、多様な価値観を受容するマインドを築くことができました。
大学院を卒業して帰国したのは夏。就職活動はすでに終わっていた上、就職氷河期真っ只中。半年間、いわゆるプータロー生活を送り、春に興味深い職として唯一見つけたのが外務省の在外公館派遣員の募集でした。希望赴任地には欧米の国を書いて最終面接へ。そこで尋ねられたのが「君は中東とアフリカならどちらを希望しますか?」という想定外の質問でした。当時2002年は9・11後、イラク戦争前で、中東情勢が連日ニュースになっていました。きな臭いイメージはありましたが、外交の最前線だろうな…と考えたのは2〜3秒の間。 「中東に行きたいです」と答えた翌日、「アラブ首長国連邦に行ってください」と電話がありました。数秒間で人生の分かれ道を決断して中東へ赴任したことは大きな転機でした。派遣員として2年間アブダビで勤務。任期満了後の04年、派遣員からの採用として外務省に入省しました。
本省で勤務後、08年にイエメンの大使館に赴任しました。こちらもなかなか安定しきれない難しい国でした。経済協力、広報文化、アデン湾の海賊対策などの業務を行う中で起こったのが「アラブの春」。11年に政権が倒れ、治安が悪化し、やむなく日本に退避する事態となりました。
21年には経済発展が著しいバングラディシュの大使館へ。ODA(政府開発援助)と日系企業進出支援、ロヒンギャ難民への支援などに携わりました。親日国で伸び代しかない国だったのでイケイケドンドンで任務を遂行した3年余りでしたが、今年8月、学生が蜂起して政権崩壊。ここでも歴史の転換点の中に身を置きました。外交の舞台は本当に何が起こるかわかりません
今年10月に着任したホノルルはきれいな空気も街行く人の姿もこれまで赴任したイスラム諸国とはまるで違います。
ハワイでは、在留邦人の皆さまの安全確保に加え、日本と交流の歴史が長く深いこの場所で、どのような付加価値をつけていけるのか? 人の交流、文化、経済、安全保障など、一層重要性を増す日米関係の中でより多面的、多層的な強化に少しでも尽力したいと思います。出張で訪れたカウアイ島では、高齢の日系の方が、真珠湾攻撃のときの様子を語ってくださいました。日本とハワイの歴史を築いてこられた諸先輩方への恩返しのためにも、できることを模索していきたいと思います。
はるた・ひろき◎福岡市出身。2004年に外務省へ入省。2002年から2年間、外務省在外公館派遣員として在アラブ首長国連邦日本国大使館に勤務。2008年から2012年まで在イエメン日本国大使館、2021年から2024年まで在バングラデシュ日本国大使館勤務の他、外務本省で領事業務やSDGsなどに携わる。2024年10月から現職。
※このページは「ライトハウス・ハワイ」 2024年12月号掲載の記事です。