
2階建てのゆとりある客席と安定した飛行の世界最大520人乗り旅客機『フライングホヌ』。ANAの海外空港で最大の1日2000人以上が利用するホノルル空港に今年着任した成松和久ホノルル支店長に転機を聞いた。
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就職活動で最初に内定をもらったのがANAで、ご縁を感じて就職しました。
入社後、伊丹空港の航空機の安全運航を支える運航部に配属。運航管理者という国家資格の取得が必須で、大学受験よりも勉強し、約1年後に合格。しかし2カ月後、まったく業務が異なる関空の旅客サービス部へ異動し、国際線を担当することに。この想定外の異動が最初の転機でした。ここでの経験が、海外空港配属時に大きく役立ったのです。羽田、ロンドンヒースローなど5つの空港を経て、約10年ぶりに当時1日約1000便のオペレーションをつかさどるオペレーションマネジメント部へ配属。初めて国家資格を行使することになりました。
そこで最大の転機となる出来事が起こったのです。
2011年3月11日。東日本大震災が起こった瞬間、約100便のANAの機体が飛んでいました。被災地は当然のこと、羽田・成田両空港が閉鎖され、他社を含め多数の航空機が行き場をなくしました。当日は天候が良かったこともあり、どの航空機も余分な燃料を搭載しておらず、地上と航空機の連絡手段も限られた中、中部空港も臨時着陸の飛行機であふれて八方ふさがりの状況に。なんとか全ての航空機を安全に着陸させることはできましたが、私は自分の無力さに落胆しました。
弊社ではさまざまな事態に備えて多くの訓練を行っていましたが、羽田と成田が同時に使用不可となることを想定した訓練は実施していませんでした。「想定しなかったこと、訓練でできなかったことが本当に発生したら、絶対に対応できない」。それが自分への戒めとなり、私の究極の仕事は危機管理であると悟りました。仕事の捉え方が大きく変わった転機です。
私がファンであるヤクルトスワローズの野村克也元監督が「失敗と書いてせいちょう(成長)と読む」という言葉を残しています。失敗を生かすことが次の失敗を防ぎ、自身と組織の成長につながるというメッセージです。
以降、各訓練の内容を精査しました。若い社員には訓練のたびに「今日できなかったことが実際に発生したら絶対にできないよ。火事場の馬鹿力なんて存在しない。どうしたらできるようになるか考えなさい」と伝えています。
2016年、ANAの最重要路線の一つであるドイツのフランクフルト空港所長として赴任しました。着任直前に欧州で空港爆破テロがあり、後半にはコロナの影響などありましたが、危機管理の意識を怠ることなく全うしました。
ハワイへの異動は、周囲にうらやましがられましたが、私は身が引き締まる思いでした。なぜなら毎日ご利用者数が2000人を超えるANAの海外最大基地だからです。今日の便が急遽欠航になったらどう対応するかなど、毎朝シミュレーションしています。
3回目の海外赴任は想定外でしたが、せっかくいただいたチャンス! ゴルフを再開し、趣味のマリンスポーツも含め、この環境を生かして、仕事もプライベートも思いきり充実させるつもりです。そして体験したハワイの良さを発信していきたいと思います。

なりまつ・かずひさ◎宮崎県出身。1968年生まれ。筑波大学第一学群社会学類卒業後、1992年ANAに入社。空港を中心として運航、旅客サービス、空港総務などを、伊丹、関空、羽田、福岡で従事。30代でロンドン、40代でフランクフルトの海外勤務を経て、2025年4月1日付けでホノルル転勤の辞令を受け、現職へ。
※このページは「ライトハウス・ハワイ」 2025年12月号掲載の記事です。