1971年から52年間『ウクレレフェスティバルハワイ』を主宰したロイ・サクマさん。ウクレレの神様オータサンに師事し、後にウクレレ指導に全力を傾け、数々のミュージシャンを輩出し続けた人生の転機を伺った。
初めてウクレレを弾いたのは10歳です。うまく弾けず、13歳の頃に姉に教わってもやはりうまく弾けませんでした。
その後、16歳のときにラジオから流れたハーブ・オオタ(オータサン)の『Sushi(鈴懸けの径)』を聴いた瞬間、その曲と彼のウクレレの音色に心を奪われたのです。毎日聴き続ける私に、親友が新聞の小さな記事を見つけて「ハーブ・オオタからレッスンを受けられるよ!」と。すぐに電話しました。オータサンはウクレレの弾き方や音の導き方を教えてくれました。私は毎日8〜10時間、夢中で練習しました。悪ガキで高校を中退した私が、オータサンに出会ったことで人生が変わったのです。これが最初の大きな転機でした。
オータサンに習った期間は18カ月。「もう教えることはない」と独立を勧められた後、しばらくして「次の大人のクラスで教えるのを手伝ってみないか?」と連絡があったのです。喜んで行くと、クラスの最後に彼は「来週から日本に行くから2週間このクラスを教えてくれる?」。 その日から壁や鏡に向かって必死に教える練習をしました。その甲斐あって当日は不安なく教えることができました。
帰ってきたオータサンに「どうだった?」と聞かれ、「教えることが大好きになりました!」と答えた私に「僕のスクールで指導したい?」と。彼は私にウクレレを教えてくれ、さらに「指導者」という道も与えてくれたのです。二つ目の大きな転機でした。
1974年、オータサンのアドバイスによって自分のスクールを開きました。「ウクレレを弾く喜びと高い技術をシェアする」。これが後に結婚するキャシーと私の人生の目的になりました。
52回で幕を閉じた『ウクレレフェスティバルハワイ』が、世界初のウクレレフェスティバルとして始まったのは1971年です。22歳だった私はカピオラニ公園の清掃員でした。公園でランチを食べながら夢見た「ここで無料フェスティバルを開催してウクレレを世界中に広める」ことが現実になったのです。旅行者たちが楽しみ、帰国後にウクレレを練習して指導者となり、本当に世界へ広まりました。夢がかない、第一線を退きましたが、今年、嬉しいことに関口和之さんがカピオラニ公園で第1回『インターナショナル・ウクレレフェスティバル・オブ・ハワイ』を開催します。彼から相談され、ノウハウを熟知するキャシーが喜んでアドバイスしました。
長くイベントを継続できたのは多くの協力があり、そしてキャシーがいつも皆をまとめてくれたからです。あまり人に話していませんが…彼女は私が人生で初めて「アイ・ラブ・ユー」を伝えた人です。プロポーズした翌朝、自分が抱える問題を考え「やはりあなたを幸せにできない」と涙ながらに伝えたとき、彼女は「打ち明けてくれてありがとう」と丸ごと受け入れてくれました。人生に愛が見つかり、共に夢に向かうパートナーとなってくれた彼女との結婚が、最大の転機かもしれません。
Roy Sakuma◎16歳で本格的にウクレレを習い始め、後に指導者という天職に目覚める。1971年にカピオラニ公園で第1回『ウクレレフェスティバルハワイ』を開催。1794年にロイ・サクマ・ウクレレスタジオをカイムキに立ち上げる。ジェイク・シマブクロなどの新世代のウクレレ奏者を輩出。2022年にウクレレフェスティバルに幕を下ろし、現在は島内に4カ所のスタジオで指導を行う。
※このページは「ライトハウス・ハワイ」 2024年7月号掲載の記事です。