現在開発が進むワードビレッジの公式デザイナーとして活躍する白石ヨシさん。これまで、トランプタワーやハレクラニ、カハラホテルと関わった高級プロジェクトは数知れず。そんな彼に人生の転機について伺った。
実家は埼玉の日本蕎麦屋。家には大きな白い壁があり、物心ついた頃からそこに絵を描いていました。上手に描いたら、クレヨンを買ってもらえたので、いつしか壁全体が私の絵で埋まりました。
高校生のときに友達と休みごとにユースホステルを泊まり歩きました。そこで、さまざまな空間に出会い、「建築とは空間を共有する人に素晴らしい影響を与える」と心底感じ、建築家を目指しました。
武蔵野美術大学の建築科2年生のとき、バイトで貯めた60万円でヨーロッパに2カ月一人旅。20カ国旅する中で「自分は日本人というだけでなく、地球に生まれてきた地球人なんだ」と実感。30歳なら30カ国というように、自分の誕生日の数だけ、世界を見るため、海外に行こうと決意しました。また、「アメリカ1カ月飛び放題」という学生向けの航空券を活用して、卒業旅行ではアメリカを周遊。このとき初めてニューヨーク(NY)を訪れ、将来絶対にここに住むと決めました。
NYの有名社長に直談判、自力で手に入れた夢
大学卒業後の就職先は、デザイン最大手の乃村工藝社。パルコや有楽町マリオンなどの最先端の商業デザインを担当しました。
NYの有名なデザイン会社社長のケン・ウォーカー氏が審査委員長だった国際デザインコンテストで優勝したとき、どうしても、ウォーカー氏の元で働きたくて、パーティー会場の階段の下で待ち伏せ。「NYで働くチャンスをください」と直談判し、NYでの面接にまでこぎつけました。面接では、映画「フラッシュダンス」のセリフをもじって、「夢を諦めることは死ぬこと。僕の夢はこのNYで、デザイナーとして活躍することです」と力説。また、副社長が私の名前の漢字の意味を尋ねたときには、「今はホワイトストーンだけど、あなたがチャンスをくれればデザイナーとして輝いてダイヤモンドになります」と。すると彼は空いているデスクを指差して「君の机だ」と言ったのです。夢を実現した瞬間でした。 27歳でウォーカー・グループに入社。都会ならではの孤独感も味わいましたが、競争の激しいNYでアジア人初の副社長にまで昇進し世界中を飛び回りました。9年後独立し、お台場にあるソニー・メディアージュなど日本企業のデザインも多数担当しました。
そんな仕事一辺倒の私にも出会いが。取材で出会った今の妻と結婚することになったのです。しかし、結婚の条件はクリスチャンになること。宗教に関心のない私でしたが、洗礼を受けたことで、次第に自己中心の物欲主義がなくなり、1日1800回を目標に感謝のことばを唱え、就寝前にはその日に感謝できる5つのことを紙に書き出してから、心穏やかに熟睡しています。
ハワイにはトランプタワーのペントハウスのデザインの仕事がきっかけで2010年に移住。現在はワードビレッジプロジェクトのオフィシャルデザイナー兼「アナハ」のオーナーとして、ワードビレッジの成功に貢献したいと思っています。また、世界100カ国の旅も今後の目標。残り48カ国は家族と旅する予定です。
Yoshi Shiraishi
◎武蔵野美術大学建築科卒業後、乃村工藝社勤務。国際コンペティションでの優勝をきっかけに、NYのWalker Group/CNI転職。東京ミッドタウン、NY伊藤園レストランなど、世界10カ国の大型プロジェクトを担当。1996年YDNY起業。2010年、拠点をNYからハワイに拡大。ブルーノート・ハワイやハレクラニホテルのデザインで脚光を浴びる。http://www.ydny.com
(2018年2月16日掲載)
※このページは「ライトハウス・ハワイ 2018年2月16日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。