日本発の上質なアパレルメーカーとして知られる『ユニクロ』。今秋のハワイ初上陸を前に、ポップアップストアをアラモアナセンターに開店した。そんなユニクロ・ハワイのCOO棚橋右弥さんに転機を伺った。
小学2年生から5年生まで家族でニューヨークで暮らしていました。このとき、日本とアメリカの考え方の違いを感じたのを覚えています。日本では皆同じが良いとされていますが、アメリカは個々が違うことが大前提。しっかり主張する、そんな文化にも慣れ親しんだ頃に帰国しました。
帰国後、帽子を斜めにかぶり、太めのジーンズを履いている自分は「完全に浮いている!」と気付き、親にJリーグのジャージを買ってもらい、それを着て周りになじんだという思い出があります。
募集要項に魅了され入社、意識が変わって店長に
就職活動では大手企業をいくつか受けたもののすべて不採用。改めて好きなことを考えてみると、洋服店でアルバイトしたことが楽しかったと思い、何げなくユニクロの募集要項を見てみると、そこに書かれていたのが「年齢・性別・国籍に関係なく評価します」という文字。日本では珍しい価値観に惹かれた上、海外勤務の可能性もあることを知り、「これだ!」と。実はユニクロに一回も行ったことがなかったのですが…。
リクルートスーツに身を固めていざ面接へ。ところが周りの就活生たちはユニクロ熱にあふれ、全身ユニクロ! 自分だけ空気が読めていない状態でした。それでもトントン拍子に進み、最終面接後、その日のうちに採用の連絡が。そのスピード感と会社とのフィーリングがとても良く感じられて入社しました。
店長候補として入社したのですが、半年で店長になった同期もいる中、自分はなかなか学生気分が抜けずに毎日を過ごしていました。
ところが1年後、岐阜に異動したとき、スイッチが入りました。社員である自分にスタッフたちが頼ってきて、自分がしっかり応えなくてはいけないと気付かされたのです。このチームのために頑張りたい。彼らの指導者としてふさわしくなろうと完全に意識が切り替わりました。その後すべての行動が変わり、まもなく店長に昇格しました。
昇進後にぶつかった壁を一つずつ乗り越えて
店長になってからは、スタッフが持つ力を最大限に発揮してもらうために苦労しました。試行錯誤し、あるとき、彼らに“任せる”ことにしてみました。失敗できる環境を作り、失敗から学べるように。そこから底上げを図ることに成功。自分も店長としてステップアップしていきました。
2012年にニューヨークへ駐在。子どもの頃に住んでいたこともあり、安心していたのもつかの間、それまで培ってきた経験は通用せず。現地のスタッフは、1を聞いて10を知るなんてことはまるでなし。まずは褒めてから、一人一人の個性に合わせて辛抱強くコミュニケーションをとっていきました。
西海岸のリージョナルマネージャーなどを経て、5月にハワイへ。新たな挑戦です。ユニクロハワイは、地元と観光客の皆さまに育てていただきたいと思っています。商品だけでなく、サービスも日本のクオリティーに。同時に地元に貢献できるようなCSR活動にも取り組んでいく予定です。
たなはし・ゆうや
◎1982年福岡県生まれ。2006年青山学院大学国際政治経済学部卒業。株式会社ファーストリテイリング入社。山口県萩店で店長着任後、5店舗で店長、エリアマネージャーに。2012年ユニクロUSA、ニューヨークへ。ボストンやNYでエリアマネージャー、ゼネラルマネージャー、西海岸でリージョナルマネージャー、今年5月に現職へ。
(2018年7月16日掲載)
※このページは「ライトハウス・ハワイ 2018年7月16日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。