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ホノルル補習授業校ハワイ日本人学校(レインボー学園)校長 岩出 晃

日本語補習授業校として1974年に設立し、創立50周年を迎えた『レインボー学園』。記念行事などの他、子どもたちが、未来、夢を考え、創造する活動も行っている。節目の年に着任した岩出晃校長に転機を伺った。

 

 最初の転機は想定外だった教師の道を歩んだことです。パイロットを目指し、航空大学校を2回受験するも、不合格。状況的にやむを得ず選んだのが教職課程でした。

 どこか冷めた気持ちで、出身地である広島の中学校へ教育実習へ。2週間の実習を終えた送別会で、ある生徒が泣きながら「先生はめちゃくちゃだったけれどきっと良い先生になると思います」と言うのです。その言葉に「こんな私でも信じてくれる子がいる。教師とはこうして誰かに影響できる職業なのか」とその意義を見出し、心から教師になりたいと思いました。

 1985年、埼玉県の中学校で数学の教師になりました。

新しい扉が開くときは、いつも人との出会いがあった

 当時は全国的に中学校が荒れていた時代。悲惨な現状に毎朝「今日こそ辞めよう」と思って通勤しました。でも頭をよぎるのは「岩出先生はきっと良い先生になる」の言葉と泣き顔。「もう1日頑張ろう」と思い直す日々でした。

 2年目に担任を持ってもうまくいかず、職員室で愚痴をこぼす私に、あるとき学年主任の先生が掛けてくれた言葉が「人生すべてが栄養だよ」でした。今、目の前で起きていることは、やがて自分の血となり肉となると…。それ以降、少しずつ生徒への接し方が変わっていきました。二つ目の転機になったこの言葉は、私の座右の銘となりました。

 1994年、ロンドン日本人学校で勤務した先生の「海外に出てみないと日本のことはわからない」とのアドバイスから、試験を受けてシカゴ日本人学校で働き始めました。このとき現地の小学校の授業を見学したことが、後の授業スタイルを変える転機となりました。子どもたちは回答の正解不正解にかかわらず、なぜそう思ったのかを説明し合っていたのです。これまで一方通行の授業をしていたことに気付かされ、これこそが子どもたちの思考能力を高める授業だと思いました。日本も授業スタイルを変えていく必要があると考え、帰国後、大学院で数学的コミュニケーション能力の育成を研究し、卒業後に実践していきました。

 教頭、校長時代は「皆が笑顔の学校」を掲げ、昨年に定年退職しました。

創立50周年のレインボーを次の50年へ紡ぐために

 定年後、もう一度海外を目指していたため、試験を受け、昨年はサウジアラビアの日本人学校に派遣。今年6月、創立50周年を迎えるレインボー学園に着任しました。

 これまで学校を支えてきてくださったのは、在ホノルル日本国総領事館をはじめ、ご家庭、学校理事会や教職員、PTA、地域、卒業生、そして子どもたちです。子どもたちには次世代へ笑顔でバトンを渡してほしいと思っています。それは毎週元気に通学することの積み重ねです。その中で彼らに望むのは、国際人としての素養を身に付けることです。人や文化、風習、考え方などの違いを受け止める力、自分の考えを伝える力、新しい扉をたたく力を持つこと、そして感謝を忘れない人になってほしいですね。

 記念となる年に私がこの学校と出会えたのは偶然かもしれませんが、必然だったと思えるよう、少しでも学校の力になるため努めてまいります。

2013年、主幹教諭として、数学教師の最後の年を務めた





いわいで・あきら◎1963年横浜生まれ広島育ち。埼玉大学大学院修士課程(教育学研究科教科教育専攻算数数学)修了。1985年に鶴ヶ島市立藤中学校の数学教師へ。1994年から3年間シカゴ日本人学校に勤務。2014年教頭に、2017年以降は校長として、埼玉県の小学校に勤め、2023年に定年退職。同年サウジアラビアのリヤド日本人学校へ赴任。2024年6月から現職。

※このページは「ライトハウス・ハワイ」 2024年10月号掲載の記事です。

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