2015年のオープンから、今では1カ月先まで予約の取れない人気の美容室に成長した『フィンカ・ビューティー・サロン』。そのサロンを立ち上げたスタイリストの坂本和也さんに、人生の転機について伺った。
就職の第1、第2希望は音楽のレコーディング・スタッフか音響エンジニア。第3希望が美容師。高校3年生の進路相談のときの希望です。友達とバンドを組んでいたので、音楽関係の仕事に就きたかったのですが、同時に髪を染めたり、パーマかけたり、友達の髪の毛をカットをしたりと髪を触るのも好きでした。美容の専門学校を見学したら思った以上に楽しそうで、美容師になることに決めました。
ところが、毎日辞めたいと思うぐらいに現実は厳しく、長時間の授業の後、夜もカットの練習。長い夏休みのある大学生の友人から遊びの誘いがあっても遊べず。しかし、2年後には国家試験に合格し美容室に入店しました。
実社会は学校よりもっと過酷でした。開店前の朝練後、9時から営業。8時の閉店後にまた練習。しかし、努力の甲斐あって、東京の表参道のサロンでは3〜4年かかる時代に、私は1年2カ月でカットデビュー。新しいスタイルがどんどん出てくるこの業界で必死で学び、働きました。その後23歳で、クラブで働く女の子の髪を専門にセットする店を友人とススキノにオープン。店長にもなりました。
東日本大震災後すぐ、意を決して北海道から銀座へ
東京や海外に対する憧れが強くなってきたこの頃、先輩から1カ月だけ銀座の店で働らけるからと誘われ、東京に行くことに。ところが、3月11日に東日本大震災が起こったのです。それでもこのチャンスを諦めきれず、10日後に東京へ。余震がまだひどく、計画停電のせいで銀座の街も暗く活気がありませんでした。それでも約束の1カ月が終わる頃にはオーナーに気に入られ店長候補になりました。めでたく、銀座店の店長に就任。西麻布に住み、仕事も遊びも充実した27歳の1年でした。
もともと、銀座の店長は1年限定。理由は海外に行きたいという夢があったからです。1年後にはバックパッカーのようにタイ、インド、カンボジア、マレーシア、ラオスを4カ月かけて旅しました。インドでは、貧しい人たちが集まるエリアの小学校で、ボランティアで児童の髪をカット。この経験が、今のキッズカットにつながりました。
旅が終わり東京に戻り、美容院『オーブ』に入店。半年後には池袋店の店長に昇進しました。それでも、海外で働く夢をあきらめられず、ワーキングホリデーの年齢制限に近づいた頃、社長に自分の夢を話すと、「ハワイに出店の予定があるから永住する気持ちで行けば」と言われ、30歳でハワイにやって来ました。
到着して3カ月後、ようやく『フィンカ』をオープンしたものの、壊れているのかと勘違いするぐらいに電話は鳴らず(笑)。ブレークしたのは、小学生のカットを15ドルにしたことがきっかけでした。子どもについてきた親が、予約を入れてくれるようにもなりました。また5月5日の子どもの日にはカットを5ドルに。売り上げは震災の被災者に寄付したり、病気の子どもに無料でかつらを提供する団体に髪を寄付したりました。
徐々に地域密着型のサロンへと定着してきた今年、ついに双子のパパになりました。ハワイで生まれた息子たちが今後、どんな風に成長するか楽しみです。そして、メインランドに進出する夢もいつか叶えたいですね。
さかもと・かずや
◎1985年北海道札幌市生まれ。高校卒業後、札幌ビューティーメイク専門学校に入学。2年後、理容師及び美容師国家試験国家試験に合格。専門学校卒業後、地元の美容室に勤務。その後、友人とサロンをオープンし、23歳で店長に。2011年、銀座の美容室に勤務。2012年、『オーブ』池袋店の店長に昇格。2015年、ハワイに移住し『フィンカ』オープン。
(2019年8月1日掲載)
※このページは「ライトハウス・ハワイ 2019年8月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。