JETプログラムで福岡に赴任したことを機に、ハワイで日本と関わる活動に取り組み、現在はハワイ大学で教壇に立つキース・サクダ教授。さらに今年、ハワイ日系人連合協会会長に就任したサクダ氏に転機を伺った。
私の人生は、予想していたものと、ある人との出会いで大きく変わりました。
大学生の頃、日系4世として日本の文化を知る必要があると思い始め、高校時代にやめていた日本語の勉強を再開。日本政府の外国青年招致事業であるJETプログラムに応募し、合格しました。
とはいえ、大学卒業を控えた当時、就職先の第一希望はアメリカ証券取引委員会(SEC)でした。その面接を受けるため、私はカリフォルニアを訪れました。そこで転機が待っていたのです
初日の面接がうまくいき、翌日は入社後に上司になるというジャニス・ヌマタ氏が同席。面接が終了間際に、彼女は私に他に検討している仕事を尋ねました。一つはニューヨークでの経済コンサルティングの仕事で、第三希望はJETプログラムだと伝えたところ、彼女はその道に進むように、つまり日本へ行くように言うのです。私の第一希望はSECであることを伝えましたが、彼女は首を横に振り、私がアメリカに戻ったときにまだ望むならSECの仕事が待っているだろうと。それで面接は終わりました。
私は混乱して何が起こったのかを整理しようとしました。彼女の姓はヌマタさんです。彼女自身が日本を訪れ、人生に何らかの転機を迎え、私にも同様のことが必要だと感じたのではないかと考えました。
その夜、私は彼女に感謝の手紙を書き、JETプログラムへの参加を受け入れることを伝えました。彼女は私が最初にその決意を伝えた人です。
わずか15分の面接で、後に彼女に会うことはありませんでした。この出会いがなければ、私は日本と接点のない人生を送っていたことでしょう
JETプログラムで行ったのは母方の出身である福岡でした。そこでの経験は予想以上に素晴らしいものでした。同時に挑戦でもあり、慣れない日々の生活は大変でした。たとえば、私が住んでいた古いアパートはお湯が出ず、毎夜バスタブに水を溜め、朝5時に起きてそれを沸かす。再び眠って1時間半後に温まったお風呂に入って仕事へ行く。勤務先の学校まではバスと電車を乗り継いで、最後に歩いて1時間半の道のりでした。
ハワイにいても日本の文化を学ぶことはできますが、実際に生活をして働いて学べることは全く違います。その体験は大きな財産となりました。
ハワイに戻ってからは、関西外語大学で国際教育オンライン客員研究員や、その後にできたトランスパシフィックハワイ大学での講師などを通じて日本に関わる仕事を続けてきました。現在は、ハワイ大学ウエストオアフ校で教授をしています。パンデミックで断念した福岡との交換留学も再計画しているところです。
今年、会長に就任したハワイ日系人連合協会では、行事をオンラインから実開催へと移行中です。一方、オンラインを活用することで隣島の人たちも加入してもらい、州全体の組織に成長させると同時に、若い世代の会員を増やし、次世代へ日本の文化をつないでいきたいと考えています
Keith H. Sakuda◎ハワイ出身。2010年ハワイ大学国際経営学PhD(博士課程修了)、03年同校経営学修士号、21年ハーバード大学(社会人向け)リベラルアーツ修士号取得。ハワイ大学ウエストオアフ校で准教授を経て20年から同校経営・国際関係学教授。日本へは、JETプログラムで2000年から2年間福岡県へ。後にJAIMSなどに関わる。2023年7月、ハワイ日系人連合協会会長。
※このページは「ライトハウス・ハワイ」 2023年9月号掲載の記事です。