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アロハ・ウエディング・ガウン・クリーナース 社長  西川明宏

 

 

海外挙式の中でも不動の一位を誇るハワイ。輝く日差しの中でカップルがまとう真っ白なウエディング衣装をクリーニグする影の立役者、アロハ・ウエディング・ガウン・クリーナースの西川明宏社長に転機を伺った。

 

 

小学生のときにスキーを始め、大学はスキー部に所属。準指導員の資格を取得し、就職は迷わずスキーメーカーを受けました。ところが全滅。慌てて2次募集に応募し、たまたま受かったところが、クリーニング業界大手の白洋舎でした。

就職試験で英語の点数が良かったらしく、面接の際に「海外に行く気持ちはあるか」と聞かれ、思わず「はい」と答えたら、ハワイ勤務要員として採用されました。入社後は工場で日本の染み抜き技術を徹底的に身につけました。3年後、海外研修でロサンゼルスへ。初めての海外生活で、英語とクリーニング技術を必死に習得しました。

1986年にハワイ白洋舎へ出向。地元の従業員に、染み抜き技術を教え込もうと意気込んでいたのですが、猛反発をくらいました。彼らの時間の流れ、考え方に合わせようとしていなかったのです。郷に入っては郷に従うべきだったのですね。

 

 

会社からの突然の肩たたき、夢にも思わなかった独立

3年後、カリフォルニアに店舗を立ち上げるため、ロサンゼルスへ異動。8年間LAで働きました。その後、またハワイへ戻ってきました。そこで白洋舎として新たに始めたのがウエディング衣装のクリーニング。需要があったと思っていたのもつかの間、会社の業績が落ちてきて、そこで会社から言われたことが「ウエディング事業と一緒に独立したらどうか」。マネージャーとして高給取りになっていた私への肩たたきでした。

会社員としてずっと働いていくつもりで、独立なんて考えたこともなかったので途方に暮れました。当時の妻はアメリカ人でしたし、断って日本へ帰ることは現実的に難しい状況でした。

 

稲盛和夫氏の言葉に啓発、幸せの価値観に変化

2009年にウエディング事業と二人の従業員を抱えて独立。その年のクリスマス、従業員にボーナスを出そうとしたら、妻に大反対され、売り上げとにらめっこしながら少しだけ渡すことにしました。無理してでもボーナスを出すべきか、会社の利益をしっかり確保すべきか、何が正解かわかりませんでした。

翌年1月、知人から「盛和塾をハワイで立ち上げるから」と誘われるままに付き合いで参加し、そこで見たビデオで開眼! 稲盛塾長の「事業の目的は、全従業員の物心両面の幸福を追求すること」という言葉に、迷いがなくなり、視界が晴れたのです。

従業員と向き合い、彼らの幸せを最優先で考えるようにすると、彼らが良い仕事をするようになり、お客様が喜び、会社の業績が上がっていきました。現在に至るまで業績が伸び続け、売り上げは3倍となりました。

会社員として自分の出世を幸せと考えていた私の価値観も変わりました。

アメリカでは設立10年を迎える会社は4%しかないそうです。私たちは来年10年を迎えます。まだ何があるかわかりませんが、おごらず、人材育成にも力を入れていくつもりです。この事業が従業員とお客さまの幸せにつながれば、私も本当に幸せです。

大学時代にスキーインストラクターをしていた頃。スキーメーカーに就職する予定だったが!

 

 

 

にしかわ・あきひろ

◎1956年東京生まれ。大学3年生のときに全日本スキー連盟準指導員資格を取得。卒業後、1981年株式会社白洋舎入社。1984年から1年間ロサンゼルスで海外研修。1986年ハワイ白洋舎へ出向。1989年カリフォルニアに出向。結婚。2009年同社から独立し、アロハ・ウエディング・ガウン・クリーナース設立。2010年盛和塾ハワイ入塾。

(2018年4月16日掲載)

※このページは「ライトハウス・ハワイ 2018年4月16日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

 

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