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昨年9月に就航した日本航空の成田−コナ(ハワイ島)直行便。2010年10月に運休して以来、約7年の時を経て待望の復活となった。その新コナ空港所長に就任した岡富省二さんに人生の転機について伺った。

 

 

18歳のとき、テレビ番組で双発機がグランドキャニオンの谷間を飛行している姿を見て、その壮大な映像が脳裏から離れず、パイロットになろうと決意しました。ところが、教師の父は非常に厳格で、長男の私が危険な職業につくことを許してくれません。思いを貫くには家を出るしかないと、勘当同然で生まれ故郷の鹿児島を離れ就職しました。

働きながらフランスの国営航空学校への入学を夢見て、夜間のフランス語学校に通学。ところがあまりにもフランス語が難しく、アメリカの方が身近でいいなと考え始めた頃、偶然、羽田空港でパンアメリカン航空(パンナム)のロゴを見かけ、「あの会社に入ればアメリカに行ける」と思ったのが人生の転機でした。

 

憧れのパンナムに入社するも1度目の破綻を経験

運良く、パンナムで人材募集がありすぐ入社。航空機の離着陸の誘導や貨物の積み下ろしをするランプの仕事につきました。入社して1年目、上司に「アメリカで飛行機の免許を取りたい」と直談判したところ、年末年始と有給休暇を合わせて2カ月の休暇を許可してくれたのです。普通じゃ考えられない寛大さでした。通ったオクラホマ州の航空学校では、雪のため思うように飛行時間を稼げませんでした。帰国後、天気の良いハワイならばと仕事の合間に毎月1泊でも2泊でもハワイに飛び航空学校に通いました。当時パンナムの社員は無料で飛行機に乗れたからこそできたことでした。その結果、自家用、事業用と双発機の操縦士ライセンスを取得しました。

そんなパンナムが破綻したのが1986年。私は退職後ハワイに移住しました。まずは、プロのエアライン・パイロットのライセンスとディスパッチャーの資格を取得。するとパンナム時代に無料の航空教室で教えていた教え子たちの一人が、「うちに来ませんか」と紹介してくれたのがJALでした。パイロット採用も可能な日本勤務を断り、JALアメリカを希望し、貨物部に就職。6カ月後には、ディスパッチ部門に移動しました。パイロットのライセンスを持ったディスパッチャーとしてキャプテンからは信頼され、やりがいがありました。

8年前のJALの破綻は、1度パンナムで経験済だったので、失業してもパイロットの仕事があるだろうぐらいの気持ちでした。現在、息子はハワイアン航空のパイロットです。息子は遠回りした私と違い、ストレートにパイロットの資格を取得。そんな息子もアロハ航空入社後に破綻を1度経験しています。父子そろって破綻経験者です(笑)。

 

車を止めて「ウエルカムホーム」の言葉に感激

昨秋、JALのコナ空港所長に就任しました。ハワイ島の皆さんからは、JALが戻ってくれて嬉しいと大歓迎していただいています。車を止めて、「ウエルカムホーム」と言いに来てくれる地元の人たちに感激です。

人生の締めくくりの仕事としてハワイ島のJALで過ごせる今、本当に幸せです。所長として、コナ空港に降り立たれたお客様により多くの喜びをご提供できるよう尽力したいと思っています。

3年前の新年に新宿の合気道本部道場にて、道主から直接、5段を授与された時のもの

 

おかとみ・しょうじ

◎鹿児島県出身。1970年、パンアメリカン航空に入社。1986年のパンアメリカン航空の破綻後、ハワイに移住。パイロットを含め、各種航空ライセンス取得。1990年、日本航空入社。貨物部を経て、ダニエル・K・イノウエ空港にてディスパッチャーとして、長年勤務。2017年9月、コナ空港所長に就任。家族は妻と長男、長女。

(2018年3月16日掲載)

※このページは「ライトハウス・ハワイ 2018年3月16日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

 

 

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