1987年からアメリカで寿司を握ってきた河上けん氏。MLB選手やハリウッド俳優など著名人の舌をうならせ、現在は昨年開店した『寿司いちか』で日本の寿司を提供している河上氏に、人生の転機と軸となる考えを聞いた。
* * * * * * * * * * * * *
板前っていうのは大体10年周期で、次世代へ修業の場を譲るために店を離れるという流れがあるんです。私は最初に銀座の寿司屋で働いたのですが、私をかわいがってくれた兄弟子がその店に10年勤務した後に下した決断が、私の人生を変えるきっかけになりました。彼が、アメリカで店を持つという夢をかなえるため「一緒に行こう」と声を掛けてくれたのです。そして1987年に渡米しました。アメリカで寿司を握ることになったのが、予想もしていなかった人生最大の転機です。
店を開けたのはサンディエゴで、当時は周りに寿司屋などほとんどありませんでした。日本の本当の寿司を提供するのが店のこだわりで、9割のお客さんが在住日本人。ロサンゼルスから2時間かけて来る方もいました。にぎりしか出さない我々に対して、アメリカ人のお客さんから「ロール(カリフォルニアロール)を出せ」と言われ、大将がけんかをしたこともありました。「うちは日本の寿司を食べていただく店だ」と。
9年間後、縁あってアラモアナホテルの『司レストラン』で働くことになったのがハワイに来たきっかけです。日本からのネタがハワイに届かず、本土と環境がまったく違いました。その後、他店で10年、『サントリー』には15年ほどいました。どの店も長いですね。板前が店を短期間で転々とするケースも多いですが、仕事をしていれば誰でも辞めようと思うことはあるでしょう。先輩に言われたのは「辞めるのはいつでも辞められる」という言葉。何かがあっても一旦立ち止まって深呼吸すると、翌日にはまた頑張ろうと思えるものです。
アメリカでは、客は店ではなく板前につきます。技術だけでなく接客も大切です。私はカウンター越しに、いろいろな会話をしたり、興味のある方にはネタの説明をしたりします。それによってお客さんの舌と心を満足させられた瞬間が至福の時です。チップというストレートな報酬があるのもアメリカの文化ですね。
「ここで寿司を握りたい」と思う店は第一印象で決まります。『天ぷら/寿司いちか』も店を見た瞬間にビビッと来ました。いい店ですよ!
最近は創作系の寿司がローカルの若い方たちに人気ですが、私が握るのはシンプルな日本のにぎりです。とはいえ、日本の寿司も伝統を守りながら変化しているので、常に勉強しています。日本へ行ったら寿司しか食べません。一人で寿司屋に行ってはカウンターに座って板前さんと話します。自分が板前であることは言わずに(笑)。店構えも含めて毎回発見があります。進化しながらも変わらず大事にしているのは「楽を取らない。しんどい方を取ること」。少しでも手を抜くと、そのまま味に反映されるんです。
夢は、いつか日本でカウンター5席くらいの小さな店を出して、お客さんとわいわい喋りながら安くてうまい寿司を提供したいですね。日本は良いネタが安価で手に入るので気軽にその味を楽しんでもらいたいです。寿司って本来そういうものだから…。
かわかみ・けん◎東京都出身。銀座の寿司店で約10年修業し、1987年に渡米。サンディエゴの寿司店で9年間働く。1996年にアラモアナホテル内『司レストラン』へ。2001年の9.11後は不況のため、異業種のツアー営業も兼務。一度カリフォルニアに戻り、再度ハワイでヒルトン・ハワイアン・ビレッジ内『初花』や『レストランサントリー』などで勤務。2024年に開店と同時に現店舗へ。
※このページは「ライトハウス・ハワイ」 2025年2月号掲載の記事です。