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50年代の上質なアロハシャツを現代に蘇らせるために2001年に創業した『コナベイハワイ』。アロハシャツ文化を守り紡ぐために大きな波を乗り越えようとしているKC木内さんに転機を伺った。

幼少期、アメリカ映画と洋服が好きで『ビッグ・ウェンズデー』を見たときに衝撃が走りました。アロハシャツの魅力に引き込まれた転機です。

 高校卒業前に初海外旅行でハワイに来ました。2月なのに温暖で、当時は日本人も少なく、6時間飛行機に乗った先にある別世界に驚きました。

 その後、日本ケンタッキー・フライド・チキンに就職し、8年目で渡米のため退職。終身雇用が当たり前だったので全員に心配されました。

 最終地はハワイと決めていましたが、まずは本土を見たいと思いロサンゼルスへ。旅行会社HISで8年間の勤務を経て1999年に退社。初志貫徹で大好きだったハワイ島コナへ移住しました。

自分で作ってしまおう!と

アロハシャツ会社を設立

日本やカリフォルニアで長年アロハシャツを買い集めた中で気付いたのは、1950年代のアロハは質が高く、今周りで売られているものは品質が劣ること。とはいえヴィンテージは1000ドル超と高額。それなら自分でいいアロハを作れないか? と思うようになりました。

 2001年に、メイド・イン・ハワイのアロハシャツ専門店『コナベイハワイ』を立ち上げました。50年代の上質なアロハシャツを現代に蘇らせたいという一心でしたが、どこで生地を染め、どこで縫製するのかもわからず、手探り状態。多くの人に助けていただきました。日本のアメカジショップに売り込み、やがて人気セレクトショップ『ユナイテッドアローズ』との取り引きも始まりました。 

 卸売り専門会社として11年目の2012年、店舗を開店しました。在庫をストレージに眠らせておくより、直接お客さんに見ていただきたいと思ったのです。日本のファンの方たちがハワイに来たときに立ち寄ってくれ、購入後にワイキキで食事をした際、「アロハを褒められた!」と戻って来る方もいらっしゃいました。ガイドブックにも載るようになりました。

 2020年1月と2月は、過去最高の売り上げでした。ところが3月、開店以来1日も閉めたことがないこの店を、コロナ禍によるロックダウンで閉めることになったのです

アロハシャツ文化を

後世に残したい

 パンデミックは大きな転機です。さまざまな情報を得てわかったことは、日本が安全な渡航再開に向けて動くには時間がかかるということでした。毎日アロハを着てパンツに革靴を合わせていた自分が、アロハを着ることも、革靴を履くこともなくなりました。何もできないという喪失感にさいなまれる日々でした。

 社会情勢が変わるのを待っていても、95%を占めていた日本人観光客を待っていても仕方ない。自分が行動をしなくては、店も従業員も家族も、ハワイの文化も守れないと思い、今年2月に店を再オープンさせました。ターゲットは英語圏に。英語のプレスリリースを出し、メディアやホテル関係者向けのパーティーもしました。やれることをやっていくしかないんです。

 始まったばかりの新たな挑戦ですが、今後、世界情勢がどうなってもアロハシャツ文化を残していくために行動していこうと思っています。

ハワイにある縫製工場。これからも
メイド・イン・ハワイを続けていく

KCキウチ

KC Kiuchi◎1964年東京生まれ。1983年に日本ケンタッキー・フライド・チキン入社。1991年に退社後カリフォルニアへ。同年HIS入社し、ロサンゼルス、サンフランシスコ、その後ラスベガスで支店長に。1999年に退社、ハワイ島コナへ移住する。2001年に『コナベイハワイ』を設立。2004年にホノルルへ引っ越す。2012年、ワイキキに店舗を開店する。

※このページは「ライトハウス・ハワイ」 2022年7月号掲載の記事です。

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