わが家の長女は日本語より英語環境が強い中で育ちました。家庭の中で、母は日本語、父は英語と棲み分けるのがバイリンガル教育において一番効果的と聞いたので努力しましたが、パパが居るときは家庭内も英語、ご近所の仲良しのお友達とも英語で、きれいに棲み分けることもできず、英語の方がどんどん強くなりました。
夏に実家に帰国したときに、ご近所にアットホームな幼稚園を見つけたので、思い切ってそこに1カ月ほど通わせることにしました。母娘分離にも苦労しましたが、なんとか2年連続で通うことができ、日本語がずいぶん上達しました。その勢いで日本語補習校の幼稚部に滑り込むことができましたが、クラスのお友達より日本語が劣っていること、日本の話題についていけないことが子どもながらつらかったようです。現地校では水を得た魚のようにイキイキとしている子が、補習校からは半泣きで帰ってくる姿を見て、いかに親の期待を押し付けていたかと反省し、日本語補習校の小学部への進学は諦めようと決心しました。
そして、補習校の代わりに何か日本語を学べる教室はないかと探してみました。ホノルル市内にあるモイリイリ日本語学校やフォート学園に放課後毎日通うには家が遠すぎるし、どうしたものかと思案していたところ、地元の小学校で放課後日本語クラスが始まることがわかり、飛びつきました。今のさくら幼児教室の前身の教室です。さらに嬉しいことには、娘と似たようなレベルの日本語を話す国際結婚家庭のお子さんが数人いて、日本の教科書に沿ってクラスを組んでくださったのです。「ただしK~5年生まで通っても、小学4年生の教科書までしか終われないだろう」というお話は最初にありましたが、娘の日本語力を考えると、それでさえ大きな目標です。願ったりかなったりで、少しハードルを下げて日本語学習を進めることができるようになりました。
夏休みには日本の小学校へも毎年体験入学させました。そこで日本語漬けになって習得した日本語をハワイではできる限りキープし、日本語教室で漢字学習を細く長く継続する形で、日本語学習に取り組みました。日本の体験入学先では漢字テストや音読についていけないので免除してもらったり、その代わりにハワイについてのプレゼンを親子でやったりと先生方のサポートにも恵まれ、また同学年に従姉妹がいたことにも助けられ、なんとか続けることができたのです。よくも悪くも「夏になるとハワイから来るハーフの子」として注目されたのも、異文化体験の一つとなりました。
中学~高校になると、第2外国語として日本語を選択し、授業で日本語に触れていきました。クラブ活動も忙しくなるし、日本の中高の受け入れも難しくなるので、体験入学は選択肢にはありませんでした。無理強いをしなかったことで、子どもの頃より日本が好きになり興味も湧いてきたようで、長女も次女も大学でも日本語を選択しました。結果として、私との会話はほぼ日本語ですし、大人になってからの方が日本語が話せるメリットを享受しているように思います。
バイリンガル教育は、100の家庭があれば100のやり方があると感じます。ひとつとして同じ環境は無いからです。それぞれの家庭環境の中で、ベストな形を見つけていくことが重要です。そして子どもたちに日本人であることを誇りに思い、日本を大好きになってほしいですね。時代的にも言語のプロを目指すのではなく、国際人としての素養を身につけることができるのがバイリンガル教育の醍醐味かなと思います。
スピアかずこ
1964年愛媛県生まれ。大阪•京都•オレゴンで学生時代を過ごす。京都女子大学短期大学部卒業。88年ハワイに移住し結婚。ハワイの公立校で教育を受けた長女は現在アメリカ本土で大学院生、次女はハワイ大学へ通う。雑誌やウェブでの執筆活動を精力的に行っている。共著に『ハッピー•グルメ• ハワイ』(双葉社刊)
※このページは「ライトハウス・ハワイ 2024年4月」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。