
ロックバンド『シャ乱Q』ボーカルとして1992年にメジャーデビューし、『シングルベッド』など4曲がミリオンセラーに。「モーニング娘。」、ハロー!プロジェクト、母校の近畿大学の入学式プロデュースなど、エンターテインメントを仕掛け続けるつんく♂さん。ハワイ在住10年目で思うこととは?
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2014年、声の不調が続くので、休養と家族サービスを兼ねて、家族5人で訪れたのがハワイでした。デビュー以降、売れるまでは海外に行く余裕なんてなくて、ブレイクしたら今度はハワイは撮影などで弾丸スケジュールで訪れるだけの場所に。仕事の虫で「休暇」という考えがなかった僕にとって、初めて2週間余りの休みを取って家族で過ごしたハワイでの時間はとても楽しくて、その印象がずっと残っていました。帰国後、検査の結果がんと診断され、長期の療養期間に入りました。
いつハワイへの移住を考え始めたか定かではありませんが、どんどんその思いは固まっていきました。
実は移住先の候補地としてニューヨークも考えました。近年はコンピューターさえあれば、ある程度の仕事はどこでもできるので。都会にするか? ハワイか…? ただ定期的な検査もあるため、移動距離を考えると、日本に近く、気候も穏やかなハワイが心身ともに安心できる環境でした。
ハワイ暮らしは、創作活動にも大きな影響を与えてくれました。ラジオをつければ流れてくるのはニューヨークのビルボードチャート。日本と違う環境が、クリエイティブな発想を刺激してくれるんです。
一方で日常生活の中心は、子どもたちの送り迎え。学校や習い事、友達の誕生日会など、わが家は子どもが3人いるので毎日あっちこっちと車移動をしています(笑)。それが嫌いじゃないんです。車内の時間も曲の構想を練ったり、合間にスーパーマーケットを3軒回って買い物をしたり、パズルのように時間配分を考えるのも楽しみの一つになっています。
学校での教育内容が日本とは全然違うことも、子どもたちを通して実感する日々です。
それともう一つは、空いた時間の過ごし方として「何もしない」こともハワイならではかもしれません。これ以上のぜいたくはないなぁと思います。
感情としては、より日本が恋しくなり、日本の素晴らしさを感じることが多くなりました。物価や品質、利便性など、外から見えることは数知れず。逆にハワイに暮らしたからこそ知り得たことといえば、アメリカの合理性という考え方です。政治や社会、人々の考え方の違いに触れることで、両国を客観的に見る習慣がつきました。
ハワイの日本人社会は小さい分、どこかで「お互いにがんばろうね」という温かい連帯感があります。この雑誌『ライトハウスハワイ』でコラム『つんく♂のSmart LIFE!』を書き始めて今年4月で9年になります。スーパーマーケットで買い物をしていると、「あ、つんく♂さん! 連載読んでますよ。うちも子どもの送迎でてんやわんややってます! がんばりましょうね」などと声をかけられることもしばしば。アメリカという異国で踏ん張っている者同士という意識でしょう。新型コロナのパンデミックのときは大きな打撃を受けたハワイに対して自分に何かできないか? と真剣に考えました。応援したいですし、お互いがんばろう! という向き合い方をしている自分に気付きました。
コラムでは、日常や日本とハワイの違い、ハワイあるあるなどを綴っていますが、毎月少しずつ積み重ねてきた連載もハワイ生活の充実感につながっています。
はい。日本の大阪に住んでいた小学生の頃の僕は、「外国になんて行かなくったって日本に何でもあるし、だから海外なんて行かなくっていいんだ!」なんて思っていたくらい、海外に興味がなかったんです。それが、偶然が重なって奇跡的にハワイに暮らしています。わが子たちと過ごす時間がこんなに増えたのはハワイ生活のおかげです。まさに転機ですね。
今年の秋には58歳になります。やはり思うことは、家族に心配かけないように健康に留意すること。そして、子どもたちにはしっかり自立してほしいですね。彼らは日本で生まれ、ハワイという多民族社会でアメリカの教育を受けて育ちました。それを生かして日本やアメリカの未来に少しでも貢献してくれると嬉しいです。でも一番は、幸せになってほしい。そう願います。僕自身も妻との当たり前の日々に感謝し、幸せを噛み締めていこうと思います。

インタビュー:ライトハウスハワイ編集長 大澤陽子
このページは「ライトハウス・ハワイ」 2026年2月号掲載の記事を基に作成しています。