初の国際線就航以来71年間日本とハワイ間を飛び続けてきたJAL。姉妹都市連携の強化を始め、両地域間の交流拡大や、持続可能な観光・ビジネスなどにも積極的に支援を行う同社、大村康治ハワイ支店長に転機を聞いた。
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1991年に日本エアシステム(JAS)に入社して以来、4回の転機がありました。
就職は航空業界に絞っていたわけではありませんでしたが、「今後海外に進出し路線拡大していく」と、カラーリングされたジャンボジェットのモデルプレーンを見せられ、将来への成長を感じて入社。これが1つ目の転機です。
私は一般的に最初に配属されるチケットカウンターや予約センターでなく、なぜか営業に配属。当時はオンラインもほぼなく、足で稼ぐ営業スタイル。宴席やゴルフも仕事の一つで「24時間働きますか?」状態! そんな中で上司に「たまには休みを取ってハワイ島でゴルフでもして来たらどうか」と言われ、ハワイ島に行ったのが、第2の転機のきっかけとなりました。
驚いたのは、ローカルの人たちのゴルフの楽しみ方でした。私の中でゴルフといえば、早朝に起きて、周囲に気を配りながらコースを回り、渋滞に耐えて帰宅するものでした。ところが現地の人はラフな服装で訪れ、ホットドッグをかじりながらラウンドしている姿はまるで散歩かピクニックでもしているかのようでした。ゆったりとした時間の流れの中で人生を満喫している光景は、自分のこれまでの生き方を見直す機会となりました。
以降、毎年同僚らを誘ってハワイ島ゴルフ合宿が始まりました(笑)。その仲間の一人が妻です。ハワイでのゴルフはご縁もつないでくれたのです。2001年、挙式はもちろんハワイ島で。前日も仲間でゴルフを楽しみました。
2010年、経営破綻という大きな転機もありました。多くの仲間が会社を去り、多くの路線が廃止されました。その中で、私は国際路線事業部のリゾート路線グループ長として、ハワイ路線の黒字化に努めました。先人たちが紡いできたJALにとってシンボリックな路線であるハワイ路線を、何が何でも存続させる。その一心で、コストを見直し、多角的な視点でサービスを見直し、値付けは価値に見合っているのかなど、一つ一つを根本から見直しました。
そして2012年、ハワイ路線は黒字化、再上場させていただくことができました。
4回目の転機はこの春のことです。「4月1日付けでハワイへ」。34年の会社人生、日本国内で営業や路線事業、マネジメント業などをしてきた私にとって耳を疑う海外異動でした。妻に連絡すると返信は一言、「うそでしょ?」。それほど想定外でした。
でも振り返ると、人生の考え方、結婚、破綻後の黒字化に奔走したのも全てハワイ。縁を感じずにはいられません。
そんなハワイに着任した今、私が目指すのは、ハワイ路線を通してハワイに暮らす皆さんと、ハワイを訪れる方々の人生を少しでも幸福にするお手伝いをすることです。日本で、そしてハワイで、かけがえのない時間を過ごして豊かな気持ちになっていただくためにも、今年就航71年目となったハワイ路線を発展させ、ハワイと日本の懸け橋となり、就航100周年を迎えられるように尽くしてまいります。 その原動力は…、空港で見るお客さまの笑顔です。
おおむら・やすはる◎福岡県生まれ。父親の転勤で各地へ。上智大学経済学部経営学科卒業。1991年JASへ入社。営業に配属され、その後30年余り営業畑に。2002年に統合、2004年JALブランドに統一。営業、路線事業で収支管理などを担当し、首都圏を中心に勤務。飛行機を間近に働く機会はほぼ皆無だったが、2025年6月にハワイ着任、現職
※このページは「ライトハウス・ハワイ」 2025年10月号掲載の記事です。