1984年のデビュー後、日本レコード大賞など数々の賞に輝き、昨年40周年ツアーを行った荻野目洋子さん。1933ウクレレオールスターズとしてハワイのウクレレフェスティバルにも登場、さらにファンクラブ開設、初の自主制作アルバムもリリース。彼女の人生の変化、仕事、家庭への思いとは?
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変わったと思います。10代でデビューしたときは、とにかく歌が好きというシンプルな思いでした。キャンペーンで全都道府県を周り、2年目に『ダンシング・ヒーロー』という楽曲と出合ってチャートインした後は、ドラマ主演など嵐のように駆け巡った10代、20代前半でした。
20代は女性として精神的な変化のある年代ですし、音楽シーンでも、アイドル全盛期、バンドブームなどと移り変わりが激しい中で、この先どうしていけばいいのかと自分と向き合いました。私は一般サラリーマン家庭の4人きょうだいの末っ子で、野山を駆け回って育ち、素人番組からスカウトされてこの仕事に就きました。でも毎日スタジオの中で過ごし、次の楽曲もスケジュールも全てを任せ、受け身でいることに煮詰まっていたんです。自分が反映されていないなと…。それ以降は毎年2週間、海外へ行く時間も取れるようになり、友達と会ったり、ライブに行ったり、ミュージシャンと出会ったりするうちに人間関係が広がっていきました。そのご縁で楽曲を作り、アルバムを作るようになりました。
そして32歳で結婚しました。事務所には「『結婚=引退』みたいなもの」と言われましたが、人として、女性としていろいろな経験をしたい。家族を持ちたいと心から思えたので「結婚を選びます」と答えました。
3人の子どもに恵まれ、約4年間は子育てだけに没頭しました。この時間は本当に貴重でした。長女は穏やかな性格で「子育てってこんなに楽しいの?」と思い、次女は甘えん坊で、3女はアグレッシブな子でした(笑)。仕事のことを一切考えず、家で自分の音楽を聴くこともなく、かけるのは子守唄や教育番組の音楽だけ。そんなとき手に取ったのがウクレレで、心を癒してくれる楽器だなと思い、弾き始めました。
このまま引退でも構わないと思っていたのですが、主人からの「ミュージシャンは一生できるから辞めないほうがいいと思うよ」という言葉に背中を押されて、本格的に歌のトレーニングをやり直しました。
音楽もその頃は気分的に、カフェで流れる曲などのヒーリングの力に惹かれ、ボサノバのミニアルバムやカバーアルバムを作るなど、音楽に対する気持ちが変わっていきました。
それはシンプルで、家庭に影響がないように仕事をしています。娘たちが小さい頃は、私が歌手であることはもちろん知らず、テレビで80年代にフィーチャーする番組を見て、だんだん「あれ、マミー?」と気付くようになりました。
わが家は、毎年お正月に一人ずつ1年の宣言をするのですが、昨年は「40周年の全国ツアーをするのでよろしくお願いします!」と宣言しました。三女は18歳になり、上の二人は成人しているので、「頑張ってね!」と言ってくれました。
仕事とバランスが取れているのは、主人が「自然体でやるのがいいんじゃないかな」と言ってくれたからだと思います。以前はストイックで、歌う前やライブ前には必ずトレーニングをこなしていました。家族を持つと自分を優先できないので、自転車で坂道を息を切らしながら上ったり、自宅のマンションでは階段を使ったり、できることをしています。
50代は更年期ですし、多少の異変も感じますが、気にし過ぎないようにして、「毎日を楽しく生きる」。これが今の私にとって仕事と家庭を両立させるためのテーマです。
人のご縁など全て自然の流れにのってきたような感じで、活動を再開してみたら、「待っていました」と言ってくださるファンの方々がいました。この仕事は自分の気持ちだけでは成り立ちません。再び公の場で歌っていいんだと思えた気持ちが少しずつ重なって今につながっています。特にライブはチケットを買って会場まで足を運ぶという労力のいるもの。昨年の40周年ツアーも直前まで「お客さんが来てくださるのかな?」と不安でした。各地で握手会をすると「当時は中学生でお小遣いが足りなくて来られなかったけれど、ようやく会えました!」とか「アルバム聴きました」など、皆さんがかけてくださる言葉が本当に嬉しくて、それが原動力になっています。ファンの方にとっては現在進行形の私に話してくれる…それが伝わってきて、ものすごくやりがいを感じました。
毎日を楽しく! 41年間この仕事を続けてきたことや、3人の子どもを育てたことに「偉いね」と言われるのですが、私にとって大切なのは数字よりも、そのプロセスなんです。続けていけるということ。その充実感が大事。ハプニングも、寄り道も、出会いも、発展もある。その時間を笑って過ごしたいと思います。。
私も海外で暮らしたいと常々思っているのですが、まだその経験はありません。実際に住んだら想像以上のご苦労もあると思います。そんな中で異文化に触れ、頑張っている姿に、いつも勇気をもらっています。外から見た日本を知っている皆さんと、これからも交流できたら嬉しいです!
インタビュー:ライトハウスハワイ編集長 大澤陽子
このページは「ライトハウス・ハワイ」 2025年9月号掲載の記事を基に作成しています。