1951年設立、沖縄文化の促進と継承を目的とするNPO法人『ハワイ沖縄連合会』。沖縄移民125周年の節目となる今年、50のグループ、約4万人が所属する同団体を率いるフランセス・久場会長に話を聞いた。
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マウイ島出身の父と沖縄県民の母の下、私は沖縄で生まれ育ちました。高校卒業後、父はすでにハワイに戻り、親戚もいたので、母の勧めで、ハワイの大学に進学しました。これが人生最大の転機です。
ハワイに来てすぐに親戚に連れて行かれたのが沖縄のコミュニティーでした。沖縄には「いちゃりばちょーでー」という言葉があります。「一度会ったら皆きょうだい」という通り、「オハナ」として受け入れてくれました。年始には毎週、市町村会ごとに新年会が開かれ、そこで私は3歳から続けてきた琉球舞踊を披露していました。やがて教えてほしいと頼まれるように…。琉球舞踊を教え、沖縄の文化をハワイに広げることは、温かく迎え入れてくれたことへの恩返しであり、それが私の使命だと気付きました。
早速、家元である沖縄の先生に相談し、帰国して師範の免許を取得。ハワイで舞踊道場を立ち上げました。あれから28年、3歳から84歳までの生徒と共に、地域のケアホームや病院、全米各地のイベントで踊っています。踊るときにいつも思うのは母のことです。幼い頃から稽古が最優先の日々でつらいときもありましたが、今では私の人生に役目を授けてくれた母に感謝しています。本職のリアルター業務との両立は容易ではありませんが、踊るたびに力と勇気を得られ、生徒からのエネルギーと、皆さんに喜んでいただけることが、何よりの励みになります。
琉球舞踊をきっかけに、そのリサイタル、資金集めなどの多様な文化活動やイベントの企画や運営に携わりました。2020年には日系人連合協会(連協)の会長に推薦されて就任。これが第2の転機となりました。その年は新型コロナのパンデミックが発生し、多くの制約がある中で連協の運営を検討して実行に移しました。ズームを使って活動し、所属する約20の県人会の紹介や連協の活動をまとめて『連協のあゆみ』という書籍を発刊しました。予期しない苦境においても、前進する手段は必ず存在すると信じ、見出すことができた1年でした。
第3の転機が訪れたのは、ハワイへの沖縄移民125周年となる今年です。1月にハワイ沖縄県人連合会の会長に任命されました。「未来や黄金(みれえやくがに)」をテーマに、移民1世の方々へ感謝を表し、希望に満ちた明るい未来を目指して、ハワイ、さらに沖縄県を交えての周年イベントも企画し、1月から実施しています。今は8月30日、31日のオキナワンフェスティバル、9月以降の秋祭りなどに向けて、熱い情熱と信念を持つ沖縄の皆さんと共に、走り回っているところです。
私自身、沖縄を離れて沖縄の文化の素晴らしさを再認識したからこそ、故郷の文化、ルーツを誇りに思うこと、継承していくことの大切さを伝えてきました。琉球舞踊クラスの卒業生には「文化に卒業はない。文化は自分の中にあるもの」と言っています。
世の中の動きが加速する中で、私たちはしっかり心をつないでいかなくてはなりません。その役割を果たしていきたいと思います。
Frances Nakachi Kuba◎沖縄県出身。18歳でハワイに移住。1990年シャミナード大学国際学部卒業。1991年ハワイ州不動産取引免許を取得(現在、リアルター、ABR、E-PRO、CRS)。2020年〜21年ハワイ日系人連合協会会長。琉球舞踊玉城流扇寿会の師範としてマノア日本語学校で教室を開催。2025年1月、ハワイ沖縄連合会の会長に就任。
※このページは「ライトハウス・ハワイ」 2025年6月号掲載の記事です。