ハワイ初のシルク・ドゥ・ソレイユの常設公演として昨年12月に始まった『アウアナ』。1日2回の公演に出演する荻原真実さんはハワイで生まれ育ち、メリー・モナーク・フェスティバルに10年出場、今回のショーのオーディションを勝ち抜いた。フラから得た彼女の人生観とは?
4歳のときです。母の知人を通じてヒヴァ・ヴァーンのハラウ(フラ教室)で習い始めました。踊るのが楽しくて帰りたくないほどフラが好きになりました。3年後、ヒヴァがクムの称号を得るために教室を閉めることになったんです。他のハラウで習うことを母に勧められても、私は「ヒヴァでなくてはイヤなの」と断り、彼女を待ちました。3年が経ち、ヒヴァがクム・フラとなって教室を再開。最年少の10歳でワヒネクラスに入れてもらいました。
私にとってはあまりにも自然な存在です。それは心臓が動くように私の鼓動であり、感情であり、魂を表現するもの。これまでの体験から言えるのは、人と人、心と心をつなぐ要素を他の何よりも持っているのがフラだと思います。フラを通して多くのことを学びながら成長してきましたが、学びは今も続いています。フラは私の人生そのものです。
メリー・モナーク・フェスティバルに10年出場し、ミス・アロハ・フラへの出場が決まった2019年は大きな葛藤がありました。フラはハワイアンの人たちが歴史を築いてきた偉大な文化です。その最高峰である競技会の女性ソロ部門で私が踊ることはあまりにも尊く、畏れ多いのではないかと自問自答を繰り返しました。そのとき、クムのヒヴァが私にハワイアンネームを授けてくれたのです。『カピイナアカラー(Kapiʻinaakalā)』。太陽に向かう扉を意味します。ヒヴァは「あなたはハワイの文化をつなぎ、紡いでいく役目を持った人です」と。フラは全ての人を受け入れてくれるというメッセージに感銘を受けました。愛情を持って誰をも受け入れることがハワイの文化であり、アロハだと確信しました。こうして受け取ったアロハの心を携え、愛情を込めて踊っていこうと、心に誓った瞬間でした。
実は医学部への進学を目指して、メディカルスクールを受けていたときのことでした。クム・ヒヴァに「オーディションがあるから受けてみてはどう?」と声を掛けられたのです。シルク・ドゥ・ソレイユの存在すら知らず、調べてみると「挑戦せずに後悔したくない」という気持ちが湧き出てきました。人生初のオーディションで、100人以上の中から選ばれるのは男女各4人。審査が進んでいたある日、メディカルスクールから試験に通らなかったと通知が届きました。その直後、オーディション合格の連絡が。「あぁフラに呼び戻されたのだ」と心が震えました。これまでもそうでした。別の道に進もうとしても手繰り寄せられるように道が開けて行くのです。
ショーの中で、客席の通路でフラを踊るシーンがあるんです。そのときにステージにいるキャストたち、そして観客の方たちを後ろから見て思うのが、私にストーリーがあるように、キャストにも、お客さんにも一人一人にストーリーがあるということ。違うバックグランドを持った皆が、世界中からここに集まって、このショーを通してつながっているのがわかるのです。そんな特別な時空の中で、私はフラを通してメッセージを伝えよう! という気持ちが込み上げてくる。それが原動力です。
『アウアナ』はハワイの伝統的なショーとは少し違って、シルク・ドゥ・ソレイユの世界観でハワイを表現しています。フィナーレの歌のハワイ語の歌詞を初めて目にした瞬間、パズルのピースがはまっていくように、このショーの全てのメッセージがこの歌に込められていることを知りました。
アウアナは「旅」や「さまよう」という意味があります。それは根底に戻る場所があって旅をすることで、根底とは文化です。出身地も人種も違う私たち32人のキャストが一体となっているのは、根底に文化があるからなのです。ハワイに限らず、皆さんもそれぞれのルーツ、文化を持っていますよね。ルーツがあることを確信し、それを敬い、自分を信じて生きることが光となる。光に向かう私たちは互いにつながりを持っているんです。エンディングに現れる大きな太陽(ソレイユ)こそが、光に向かって人生を歩んでいこうというメッセージです。
今、私は1年前に掲げていた目標とは違う道にいます。目標にとらわれる必要はないのかなと感じています。現在はシルク・ドゥ・ソレイユ、そしてこの先また医学の道に進むかもしれません。ただ、一つ言えるのは、どこで何をしていても、文化や人、それが何であれ物事をつなげる懸け橋の役目を担って生きていきたいと思います。
インタビュー:ライトハウスハワイ編集長 大澤陽子
このページは「ライトハウス・ハワイ」 2025年3月号掲載の記事を基に作成しています。