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夏休み期間に、羽田・成田・関空・名古屋からのホノルル線に加え、成田〜コナ線を運航するJALは、来年国際線就航70周年を迎える。奇しくも1年前となる2月2日に着任した青木剛ハワイ支店長に転機を伺った。

 

 大学時代は、出版社でアルバイトをしていて、実は出版社に就職することがほぼ確定していました。ところが、就職活動の時期に『JALゴールドコーストマラソン』の取材へ行く機会があったのです。そこでJALの人たちと出会い、こうして世界に拠点を持つ企業で、世界各地の情報を集めて刊行物にしたいと思い、急遽方向転換して、1990年にJALへ入社しました。

 配属されたのは成田空港で、その後は営業畑一筋。実績を上げることに必死で、出版への意識は薄れていきました。

赤字のハワイ路線を黒字に。

経営破綻も転機に

 最初の転機は、2005年にアメリカ路線を担当したことです。その中でも10年間赤字だったハワイ路線を黒字にすることがミッションでした。それまでは別の路線を担当していたので、いわゆるハワイのど素人がその運営に関わることになったわけです。社内外からもそんな見方があり、「何がなんでも黒字にする」と、自分の中で働くスタンスが変わったのを感じました。

 ハワイの本当の魅力を考え、ハワイの歴史や文化を踏まえた上でのプロモーションに力を入れました。その一つが「フラウィーク」。ハワイでフラを見たり、踊る体験ができたりするものです。予算は限られていたので、企業や、ハワイ州観光局からも援助していただきました。寝る間を惜しんで働いた数年でしたが、皆さまの協力のおかげで黒字に転換することができました。

 もう一つの転機は、やはり2010年の経営破綻です。本社で営業をしていた立場として、会社を去らざるを得なかった仲間を見て責任を感じました。苦しかったです。多くの方々にご迷惑をおかけし、その上で事業を継続させていただくことになったからには、会社を良くしていかなくてはならないと肝に銘じました。

 旅行会社など取引先の皆さまには本当に助けていただきました。空港に行って飛行機を撮影してコマーシャルに使ってくださったり、新聞にJAL応援ツアーを掲載してくださったり、思い出すと今も涙が込み上げます。この感謝の気持ちによって、自分を含め、会社の意識が根本から大きく変わりました。以降、会社の理屈を判断基準にするようなことはなくなりました。

日本とハワイの交流を深める手伝いを積極的に

 ハワイに着任したのは今年2月2日付。初めての海外赴任です。肌寒い季節でしたが、3月のホノルルフェスティバル初日にパッと晴れて、賑わうハワイを見たとき、コロナが明けて再スタートの日になったと感じました。

 日本とハワイは歴史的にも深くつながっています。航空券の販売にとどまらず、その交流がより盛んになるようなお手伝いをすることが、いつでも温かく受け入れてくれるハワイへの恩返しだと思っています。また、社内のことですが、飛行機が飛んで来なかった時期を乗り越えて、今頑張っているスタッフのために自分なりに何ができるかを常に考えています。個人的には、久しぶりのホノルルマラソン参加に向けて、練習も始めたいと思います。

 環境が大きく変わった今が3回目の転機かもしれません。

今年2月2日、ハワイへ赴任する際、羽田空港で見送りを受けて日本を経った

あおき・たけし◎1965年生まれ。兵庫県神戸市出身。1990年に早稲田大学を卒業後、日本航空株式会社(JAL)に入社。最初に成田空港へ配属、その後は、東京本社や大阪支店など営業関連部署を異動。2005年から2009年までは本社でアメリカ路線の担当課長を務める。2018年に法人販売部部長へ。2023年2月、ハワイ支店長として着任。

※このページは「ライトハウス・ハワイ」 2023年6月号掲載の記事です。

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