1998年創設のハワイ州観光局の理事に日本人としてただ一人選任。
無報酬のこの職は、ハワイを愛し観光業の大切さを分かるからこそできるもの。
私が就職したのは、男女雇用機会均等法が施行された最初の年。バブル期だったこともあり、就職先のリゾートホテルの開発会社では女性を重用してくれました。2〜3年の腰かけ勤務のつもりが、会社が初めて手掛ける海外リゾート開発のため、マウイ島に転勤の辞令が下りました。赴任したマウイ島では、日本の建築家と共にキャンプをししながら、更地から約1年半かけて、ホテルのイメージを湧き上がらせ、新ホテルを作り上げました。それが、ホテルワイレアです。
現地の人たちは私を温かく迎えてくれましたが、若くして総支配人の大役を与えられたため、自分より年上の人たちと働くという環境は想像以上に大変でした。コンプレックスを感じ、どうやって彼らから尊敬を得るかなどに頭を悩ませ、片意地を張ってしまう自分がいました。
ずっとマウイ島に住む予定はなかったのですが、日本からこのような遠い所に来たがる社員がいないまま数年経ち、地元の日系4世の男性と結婚。娘2人を出産しました。3歳からマウイ島で暮らす主人のおかげで私も自然にカマアイナの仲間入りです。
仕事の悔しさを癒してくれたマウイ島の美しさ
朝4時に起きて出社。8時に朝ごはんを作りに家に戻り、また夜に出社してバンケットの手伝いをするという不規則な生活が続き、次女が生まれたときは2週間しか産休を取らずに、若さで労働時間を補った感じでした。
仕事をしていて悔しいこともありましたが、「ま、いっか」と思えるほどの美しい景色が目の前にあったおかげで、嫌なことも苦しいことも自然が癒してくれました。もし、これが高層ビルの景色だったらストレスに押しつぶされていたと思います。1日の終わりに夕日が沈んでいくのを見れば、私の悩みなんか大したことはないと思えました。
現在は、2014年に経営統合したアクア・アストン・ホスピタリティー、そしてホテルワイレアでディレクター職を兼任しつつ、HTAの12名の理事の一人としても活動しています。実は以前にも8年間、理事としての仕事をしていましたが再任され、現在、理事としてハワイ州全体の観光行政の指針と政策を決定し、観光マーケティングの開発、展開、予算の配分を担当しています。
ハワイを愛する者として、ツーリズムの大切さをわかっているので、その方向性をきちんと定め、そこに向かうアクションプランを実行したいと思います。ツーリズムというのはビジターだけのためではなく、住んでいる人のためでもあるので、単にビジター数を増やすだけではなく、住んでいる人たちにも恩恵が必要なので、常にそのことを考えています。
雄大な自然と息を呑む美しい景色、単なる田舎ではないマウイ島。大き過ぎずコンパクトにいろんなものが詰まっている、そんな魅力に引き寄せられて、観光客だけでなく多くの世界的セレブがやって来ます。空港にはプライベートジェットが1度に30機も止まっていることがあるほど、裕福な著名人が多く訪れる島なのです。
しかしながら、若い地元の人たちは1度島を出たら戻って来ないのが現状。彼らが戻って来たいと思えるような恩恵のある場所に導くことが大事だと考えています。現在、二人の娘は早稲田大学、ニューヨーク大学に通っています。娘たちが無事卒業したら、ゆっくりと小説を書く時間などを持ちたいですね。
(2019年1月1日掲載)
※このページは「ライトハウス・ハワイ 2019年1月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。