4人の子どもを育てながら、女性としてキャリアの階段を一段一段登ってきた有田亜佐美さん。アクア・アストン・ホスピタリティーのアジア地区セールス・マーケティング本部長である彼女に人生の転機を伺った。
私の青春時代は映画『グリース』などが人気のあった時代で、高校卒業後は憧れのアメリカに留学しました。留学先のノースキャロライナ州は、ほとんどが白人で、「お父さんはサムライか」と聞かれるような場所でした。
1年が過ぎた頃、父が急性の癌で死去。傷心で帰国したものの、初志貫徹を目指し留学先をアトランタに変更し短大を卒業。ホテルで働くことに興味のあった私は、その後、ハワイ大学の観光学科に編入しました。ハワイでは過去の日系人の努力のおかげで日本人というだけでみんなが優しく、自分の「ホーム」と呼べるほどに好きになりました。OPTを終了する頃には、日系人男性と結婚。日本に帰ることは考えなくなりました。
妊娠と転職を繰り返しながらも活躍の場を見つける
私が学生だった89、90年はまさにバブルの時代でホテルではセールス担当者がイキイキ活躍。その活気ある様子を見てホテル営業を目指し、1991年にハワイプリンスに入社しました。ところが翌年、湾岸戦争が勃発。観光業は大打撃を受け、従業員のレイオフがスタート。第一子を妊娠してつわりがひどく1カ月も入院した私は、フルタイムの従業員でなかったこともありレイオフ。次に銀行に転職したのですが、妊娠7カ月のとき、早産気味ということでまた入院。出産は帝王切開となり、仕事復帰は夢のまた夢でした。それでも第三子が生後10カ月のとき、ハワイ観光局(HVCB)に入局。当時のリンダ・リングル知事と各カウンティの市長を伴った日本ツアーの企画・添乗が何よりの思い出となりました。
予想外の4人目を妊娠した2004年、ワイキキパークホテルにアジアセールスとして入社。姉妹ホテルのハレクラニのセールスも経験し、帝国ホテルやホテルオークラとも仕事をする機会があり、やりがいのある時代でした。
7年後、アストンホテルズに引き拔かれ、アジア地区営業部長に就任。女性がリーダーシップを取り、責任のある仕事を任せてくれる会社で、実力を発揮できました。現在はコンドミニアムや家族向けに強いアストンと、ブティックホテルや若年層に強いアクアの2ブランドのカラーを活かしたアクア・アストン・ホスピタリティーでセールス・マーケティング本部長として、日本への販売機会の拡大に注力しています。中でも、2016年にオープンしたサーフジャックホテルは、日本の星野リゾートがオーナーで、当社が経営を担当。非常にユニークでアーティスティックなホテルとして話題を呼んでいます。
ところで、私には3人のメンターがいます。1人目はハワイ全日空の副社長だったミリー・タケスエさん。シングルマザーで3人のお子さんを育てられました。2人目はホテル業界における女性の地位を引きあげたパトリシア・タムさん。ハワイ、そしてハレクラニで初の女性GMになった方です。3人目は私をアストンに引き抜いてくれたシェリー・チャングさん。現在はガールスカウトハワイのCEOとして女性をバックアップしています。今の私があるのは彼女たちのおかげ。尊敬すべき女性たちとの出会いこそが私の人生の転機です。
(2018年8月1日掲載)
※このページは「ライトハウス・ハワイ 2018年8月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。