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NEXUS インターナショナル インシュアランス・スペシャリスト ミドリ・デニーズ

 

 

17歳のときにハワイに移住し、出産。今は保険のスペシャリストとして、助けてくださったハワイの人々に恩返し中です。

 

 

父も母も建築家の家に生まれ、母からは事あるごとに、女性として自分の仕事を持ち、収入を得ることが大切だと言われて育ちました。やりたいこともわからず、進学校に通っていた高校時代、真剣に進路を考えることもせず、遊んでばかりいました。  そんなときに、13歳年上のハワイ出身の男性と出会い、子どもが好きで早くお母さんになりたいと思っていた私は結婚を選び、彼の住むハワイに移住しました。しかしながら後に離婚。若さゆえの勢いで移住を決めましたが、現実はそんなに甘くなく、現実逃避した私の甘い考えが引き起こした結果を猛省し、ハワイで子どもと2人で、生きて行く決心をしました。

 

知り合いもいない異国の地で住むところを探し、仕事をしながら1人で子どもを育てていくのは、楽ではありませんでした。家や仕事探し、そして夜も働かなければならなかったので、娘のベビーシッターさんを含め、ハワイで出会った人たちには本当に助けてもらいました。

 

その頃、今の主人と出会い、交際5年の末に結婚。妹が欲しいと言い続けていた娘の願いを叶えたくて、8歳違いで次女を出産。働きづめで、長女にはお稽古事もさせてあげられず、寂しい思いをさせていたので、念願の専業主婦になってからは、2人の娘の学校の送迎、幼児教室、公園デビューといろんなことを経験。4年後には息子も生まれ、3人の母となり、忙しくも充実した毎日を過ごしていました。  そんなある日、子どもがまだ小さいときに出会った共働きのお母さんからベビーシッターを探していると相談されました。昔、お世話になった方の「自分が助けてもらったように、困っている人がいたら手を差し伸べてあげなさい」という言葉が、ずっと心に残っていて、自分が誰かの役に立てるなら助けてあげたいと思っていた私は、自室でベビーシッターを始めました。たくさんの働くお母さんたちに出会い、たくさんの子どものお世話をさせていただきました。

 

保険の重要性が身にしみた義父のがんによる死

あこがれていたはずの専業主婦ですが、長女の進学が近づき、子どもの成長の速さを痛感。このままだと子どもが成長して手を離れたら私には何もなくなってしまうと焦り、外に出て働きたいと思い始めました。しかし、次女と長男の2人はまだ小さく、私が外で働くと家族の負担になってしまう。家族第一で働くには、自分でビジネスを始めるのが1番と考えたものの、なかなかコレというものに出会えず、試行錯誤しているうちに今の仕事と出会い、保険のライセンス取得の勉強を始めました。

 

勉強会に出て知識が増え、自分が加入していた保険は全て最低額保証ばかりと判明。「今の保険だと事故を起こしたら、破産する!」と驚いただけでなく、主人の父ががんになり、入院・治療など多くの金銭的問題を抱えたときほど、保険の重要性を身に染みて感じたことはありませんでした。  ライセンス取得後は仕事と子育てを両立。家族優先の私には最高の仕事です。自分は若くしてハワイに来て、子どもを産みました。今の私があるのは周りの人のおかげなので、私の持つ保険の知識で恩返しをしたいと思います。私が窓口となり、皆さんが知りたい保険のことを聞いたり調べたりして、それを日本語でフィードバックする。この役目がとても気に入っています。それに対して、「ありがとう」と言ってもらえるなんて、こんなにうれしいことはありません。

 

1番大切な家族。大学生の長女と10歳の娘と6歳の長男

 

 

 

Midori・Deniz
◎東京都出身。中高一貫教育の跡見学園に入学。2000年、ハワイに移住し結婚。翌年長女を出産する。グリーンカードを取得後、2002年よりグッチグループの『セルジオロッシ』に勤務。2007年、再婚。2009年に次女、2013年に長男出産。専業主婦の傍ら、ベビーシッターとして、働くお母さんたちを助ける。Property and Casualty insurance licenseの取得後、NEXUSインターナショナルに所属し、インシュアランス・スペシャリストとして活躍。

(2019年9月1日掲載)
※このページは「ライトハウス・ハワイ 2019年9月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

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