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日本語通訳・翻訳者   畑 友紀子

 

 

ラジオのDJ、モデル、ミュージシャン、医療・法廷専門の通訳・・・。
数々の夢を叶えられたのは、子どもの頃から「諦めず努力を続けたから」。

 

 

 

生まれも育ちもニューヨークです。幼少期から教育熱心な母のもと、お稽古の日々。ジュリアードの先生からピアノを習ったり、家庭教師、塾の他、土曜日の日本語学校には幼稚園から高校卒業まで通いました。漢字を20個書くまでは、夕食が食べさせてもらえないくらいの厳しさでした。

大学を決めるとき、日本人としての生活に憧れ上智大学に留学。同時にラジオのDJになりたいという夢も見つけ、在学中にラジオやテレビ・レポーターの仕事も開始。原宿や渋谷のレコード店でアルバイトをしながら、いつかラジオで音楽が語れるように必死で勉強しました。最初のラジオの仕事は「100万人の英語」。そのうちジャパンFMなどからレギュラーの仕事が舞い込むようになり、また幸運にも、ニューヨークの新しいラジオ番組の製作担当者と出会い、全国ネットのロック番組のDJとしてニューヨークに派遣されました。

街頭インタビューを週に10本も取らなくてはいけないのですが、忙しいニューヨーカーはなかなか立ち止まってくれない。何時間もかかるうえ、ひどい時には怒鳴られることも。それでも続けるうちに、私のキャリアの中でハイライトとも言えるローリングストーンズのミックジャガーやキースリチャーズなど有名ミュージシャンのインタビューアーに抜擢されました。

 

心を癒してくれたハワイの音楽とウクレレ

その頃、幼なじみのニューヨークの証券マンと25歳で結婚。ところが、二人とも若すぎたのか、わずか1年半で離婚してしまいました。心がズタズタに傷つき、自分を癒すために大好きなハワイに移住すると決意。ニューヨークの白人社会で、私はずっと日本人というマイノリティー。長年、「自分は一体何者なの?」とアイデンティティー・クライシスに陥っていたので、日系人社会のハワイは大変居心地がよかったのです。求人広告で『ウクレレハウス』の募集を見つけ、就職しました。1日6時間ウクレレをひいてお金が貰えるなんて夢のよう。ハワイアン・ミュージックとウクレレが心を癒してくれました。

やがて私の人生を大きく変えたのがギターとの出会いでした。習い初めて3日目には曲を書き、ピアノではできなかった自己表現を達成。音楽パートナーと共作で多くの曲を書いては、ブルースバンドのメンバーとして、ライブハウスで弾き語り。そんな様子が友人の目にとまり、ブルックリンのスタジオで録音したオリジナルCDを発売し、2011年にはミュージックアワードも受賞。「ルーツオブハワイアンミュージック」というドキュメンタリー制作にも関わり、ラジオのDJとしても活動していました。

順調な人生に思えた5年前、体調をくずし入院しました。その時に看病してくださった看護婦さんたちを見て、「世の中にこんなすごい仕事をしている人たちがいるの?」と仕事を越えた彼女たちの優しさに感動。医療界に何かお返しがしたくて、懸命に医療について勉強し、現在、クィーンズ、ストラブ、カイザーで日本人の患者さんとお医者様の橋渡しをする医療通訳をしています。さらに法律の勉強もして、法廷通訳となり、法律事務所にも雇われています。

NYでの幼少期を振り返ると、当時は苦痛だった日本語の勉強が、今では私の武器になっています。努力をすれば、必ず夢は叶う。諦めず、最後まで続ける人が必ず目標を達成できると私の経験を通して、お伝えできればと思います。

NY時代、テレビとラジオでローリング・ストーンズのミック・ジャガーにインタビューした思い出深い一枚

 

 

はた・ゆきこ
◎1969年、ニューヨーク州マンハッタン生まれ。父と母は日本で出会い結婚。父の仕事の関係でニューヨーク転勤。3人兄弟で弟が2人。ニューヨークで育ちスカースデールのエジモント高校を卒業後、日本の上智大学比較文化学部へ留学。大学在学中より始めた、ラジオ・パーソナリティー、テレビ・レポーター、ポッドキャストなどバイリンガルとしてメディアの仕事を25年以上勤める。シンガーソングライターとして2010年にデビュー。CD「ビューティフル・ライフ」をリリース。2011年には、ミュージックアワードを受賞。現在は法律、医療、ビジネス通訳・翻訳者として活躍中。

(2018年10月1日掲載)

※このページは「ライトハウス・ハワイ 2018年10月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

 

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