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ボディビルダー  メイ 広美

 
 
大好きな仕事と趣味に没頭し、充実していた日々から一転。
難病と闘いながら、好きなことに挑戦し、今を精一杯生きています。

 
結婚を機に1999年にハワイに移住しました。すぐにヒルトン・グランド・バケーション・クラブに就職。仕事は楽しく、3人の子宝にも恵まれ、充実した日々を送っていました。夫は定職に就かず、たまに子どもに怒鳴ることがあったのだけが気がかりでしたが、そんな夫も長男のような存在に思え、家族のため、そして自分のために、マイホームも購入しました。
エクササイズが大好きで、休日はスポーツクラブでズンバを教えていました。興味を持ったボディビルを始め、2012年にハワイ大会で優勝。翌年ラスベガスで開催される全米チャンピオンシップに向けて1年かけて準備するなど毎日走り回っていました。
 
人生最大の危機   うつ病に続き難病を患う
体調が良くないなと思っていたある日、勤務中に過呼吸で倒れ、救急搬送されました。仕事で昇進していくうちに、何事も完璧にやり遂げたい性格のせいか、頑張り過ぎていたのかもしれません。うつ病と診断され4カ月間休職。その後出勤するとまた同じ状態になり、結局うつ病と勤務再開を3回繰り返しました。でも、これだけでは済まなかったのです。
今度は顔が腫れ、爪先に痛みが走るようになり、それが足裏、膝下、指先、手、肘から下へと痛みが広がっていきました。ついには立つことができなくなり、夜中に救急車で運ばれることに。例えるなら爪の間を針金で刺されるような疼痛です。ハワイの病院をいくつも回り、あらゆる検査をしても、結果は「異常なし」。血液にモルヒネを入れても全く効きませんでした。
2カ月が過ぎた頃には、これ以上痛みに耐えられなくなり、もう限界かなぁと人生を諦めかけました。その頃、ミネソタ州に世界一と言われる神経内科を紹介され、なんとか飛行機に乗って検査を受けに行きました。
そこで診断されたのは、小径線維ニューロパチーという末梢神経障害で世界でも難病リストに入る病気だということ。病名がわかり安心したものの、治療法がないことも判明。2週間に1回、4時間かけて点滴と痛み止めを入れる生活が始まりました。1年目は寝たきりで天井をじっと見つめながら痛みに耐え、2年目は車イス。3年目はゆっくり歩けるようになりました。
 
社会復帰に向けて明るく前向きに!
現在は寝たり起きたりの生活です。大好きなエクササイズを優先させていますが、その日によって痛みが違うので、家から出てジムの受付までたどり着いて、あいさつだけして帰る日も。それでも大きな進歩です。この病気によって、これまで完璧主義だった自分が、〝諦める〟ことを学びました。
昨年末、フィットネスアパレルのお話をいただき、新たなブランドを立ち上げるお手伝いをしました。デザインはハワイ発で日本製。機能性にもこだわった商品を作り上げ、日本のジムで販売を実現。好評を得ることができました。 久しぶりに自分が求められていることを実感しました。これを自信につなげて社会復帰をすることが今の目標です。
実は現在、夫と離婚調停中で、家を売るという展開に。新たな試練ですが、家を失っても、3人の子どもたちのこれまでのストレスを減らし、幸せな空間を作ってあげたいので頑張ります。
この記事が出る頃、全米最大規模のスポーツイベント『アーノルド・スポーツフェスティバル』に出場するという念願が叶っているかもしれません!  今を大切に、精一杯生きていこうと思います。
 
 

ハワイの大会で優勝の座に輝いた

 
 
 

may・ひろみ
◎横浜市出身。跡見女子大学ヨーロッパ文学科卒業。R&Cツアーズに就職し、ハワイに1年間駐在。朝4時の空港送迎から夜の鍵閉めまでをランドオペレーターとして休まずこなす。1999年にハワイへ移住。ヒルトン・グランド・バケーション・クラブに就職し、2013年まで勤務。2011年にボディビルを始める。2012年にハワイ州の大会で優勝。2018年にフィットネスアパレルブランド『808 Coconuts Ave.』で商品をプロデュース。

(2019年3月1日掲載)
※このページは「ライトハウス・ハワイ 2019年3月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。
 

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