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パールハーバー航空博物館 ドーセント  王子リカ

 

 

人のためになる仕事を探し求め、ようやく出会った現職。 悲惨な戦争の歴史を次世代に伝え、未来へつなげていきたい。

 

子どもの頃から祖父と二人暮らしで、「将来は人のためになる仕事に就きなさい」と祖父に言われて育ちました。日本語と韓国語を話していたので、「これからは英語も必要だ。日本以外の世界も見るとよい」と、祖父の勧めで2011年にハワイ島のコミュニティーカレッジへ留学しました。日本人が少ない環境を選んだのも祖父のアイデア。ハワイ島での初めての一人暮らしは、私を送り出してくれた祖父のことを思うと、切ない気持ちに押しつぶされそうになる日々でした。  ハワイの生活にも慣れ、卒業した後、それまでの人生最大のショックな出来事があり、人を信用できなくなりました。それ以来、人と接することが怖くなり、ヒロとボルケーノの間にあるハワイアンエーカーズという山の中にこもり、一人で暮らし始めました。

 

人里離れた山の中での 自給自足生活を経て  

住み始めた家は家賃200ドルの掘っ建て小屋。電気も十分に通らず、水は雨次第。雨量が少ないとシャワーを浴びることはできませんでした。そうなると、屋根があるだけありがたいと思うようになりました。そんな生活を2年間続けたある夜、なぜか眠れず一晩中正座をしていました。夜が明けたとき「このままでは自分がダメになる。オアフ島へ行こう」とふと思い立ったのです。  2017年にオアフ島へ来て、レストランなどの仕事を掛け持ち、生活のために週70時間働きました。心の中には、祖父からずっと言われていた「人のためになる仕事」という言葉が常にありました。  そんなときに、パールハーバー航空博物館の仕事に出会ったのです。

 

戦争の悲惨さと悲しさを 伝えることが使命

もともと歴史に詳しかったわけではありませんが、幼少期に祖父から戦争の話を聞いていたこともあり、博物館で教わる全てが体に吸収されていきました。最初は、これほどの歴史を、ドーセントとして、訪れる皆さんに伝えられるかどうか不安でした。でも、2世ベテランの方々やそのご家族にお会いして当時の話を伺い、学ぶほどに、戦争がどれほど悲惨で悲しいことなのかを伝えなくてはならないという使命にかられるようになりました。  今、私と同世代の人を含め、こういう話に興味のない方たちが多いのが現状です。戦争のこと、その時代のこと、彼らが作った歴史を、私たちは知っておかなくてはならない。国のために生きた方のこと、彼らの強さを知れば、自分の悩みが小さなものだと気付くこともあると思います。私自身も人生のどん底にいると思っていましたが、自分には未来があり、可能性があったということに気付かされ、感謝の気持ちに変わりました。同じように、歴史を知ることが、誰かの生きる励みになったら嬉しいです。  戦争を知っている方は高齢になり、少なくなっています。これからは、彼らのことを誰かが伝える必要があります。それがこの先の歴史につながるのだと感じます。 「今日はどんな方に伝えられるのだろう」。毎朝そう思いながら職場に向かっています。この仕事に出会い、ようやく一歩ステップアップしたばかり。祖父には「人生は一生勉強だ」と言われています。まだまだ知りたいことがたくさんあるので、もっと多くのことを学んで、歴史を次世代に継いでいきたい。そして、博物館をベースとして日米親善につなげる仕事をしていけたら…。新たな目標に向かっています。

 

たとえ短期間でも、休暇を利用して日本にいる祖父に会いに帰国している

 

 

おうじ・りか
◎1991年神戸市生まれ。2011年に新東京歯科技工士学校を卒業後、ハワイ島ヒロのハワイ・コミュニティー・カレッジに入学し、語学を学ぶ。2013年に卒業。ヒロで歯科技工士として働く。ハワイアンエーカーで2年間自給自足の生活をした後、2017年にオアフ島へ引っ越し、レストランなど複数の飲食店に勤務する。2019年3月、パールハーバー航空博物館に就職。ドーセント(学芸員)として勤務し、現在に至る。

(2019年11月1日掲載)
※このページは「ライトハウス・ハワイ 2019年11月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

 

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