ハワイ現地発!最新生活情報&おすすめ観光情報サイト

エッグスン・シングス オーナー  縄野 由夏

 

 

突然の父の死と自らの心臓病を乗り越え、夢に向かって走り続けた日々
若い人たちには「決して、夢を諦めないで」とエールを送りたい

 

 

 

7歳のときに父の仕事の関係でミシガン州デトロイトに移住しました。英語にもすぐ慣れ、キャンプやテニスなどアメリカ生活を満喫。家族4人何の不安もない生活でした。

ところが、中1のとき、父が肝臓ガンに侵されていることがわかったのです。タバコも吸わないし、お酒もたしなむ程度の父は、そのとき43歳。1984年の2月、3日後に日本に帰ると突然母から告げられ緊急帰国。空港に着くや否や父は救急車で病院に搬送されました。そして、4月には亡くなってしまいました。

突然母子家庭になり、37歳の母は働き始めることになりました。アメリカの広い庭付きの家から、日本では社宅のような寝室が1つの小さな家。空は青く、太陽も輝いてはいるのですが、私の世界から太陽は消えてしまいました。

 

ツーリストとしてエッグスン・シングスを訪れる

19歳で友人と訪れたのがハワイでした。そのとき初めて、ツーリストとしてエッグスン・シングスを訪れたのです。中学以来、初めてのアメリカで食べたパンケーキは、デトロイト時代の朝食を思い出させてくれました。父と母と妹全員がそろって食べた朝食。幸せな思い出がパンケーキを通して蘇ってきました。

大学4年のとき、思いがけない不幸が待ち受けていました。英語は父から残された大切な遺産だと信じ、英語を使った就職先を考えていた矢先、先天的に心臓に穴が開いていたことが判明し、すぐに心臓の手術をすることになったのです。心臓を一旦止める大手術で死も覚悟しましたが、手術は成功。この世に生かされていることに感謝しました。

23歳で結婚して、新婚旅行先はハワイ。もちろんエッグスン・シングスを訪れました。「日本にこんな店があればいいね。フランチャイズにできないかな」と思い、オーナーのジャンに尋ねたのです。そのとき言われたのは、「まずハワイに住んで働いてみなさい」と。飲食業を全く知らないのですから当然でした。

「もっと多くの人にこの店を広めたい」という気持ちを秘めたまま帰国。2004年には長男が生まれ、久々に家族3人で交流の続いていたジャンのいるエッグスン・シングスを訪れました。息子はエッグスン・シングスのパンケーキはおいしそうに食べたのに、あるファーストフード店では、その店のパンケーキを一口食べるなりほうり投げたのです。一緒にいたジャンは「投げちゃダメよ」と言いつつ、味の違いのわかる息子を見て、嬉しそうでした。2008年、ジャンからの信頼を得て、正式にエッグスン・シングスを引き継ぐ契約を結びました。ビザを取ったり投資家を集めたり新たに新店舗用の物件を探したりと東行西走。ところが、資金繰りに行き詰まり、工事代金が払えなくなったのです。病気の夫と息子を日本に残し、ハワイで一人頭を下げる日々。関係者に「オープンしたら、絶対に成功するから」と説得し続けました。2009年3月10日、ようやくオープンの日を迎え、長蛇の列を目にした時には涙がこみ上げました。

今年、その日から10年の年月が過ぎました。今も自分がファンになった頃と同じ味を維持しています。私はオーナーというよりは従業員たちにとって、お母さん的な存在でいたいし、今も昔も私がエッグスン・シングスのナンバー1ファンです。そして今、若い人に伝えたいのは「本当に何かを成し遂げたければ、諦めないこと」。私もオーナーと出会い、契約まで10年以上もかかったのですから。

エッグスン・シングスが協賛しているチャリティーイベントの会場にて。従業員の愛娘さんとうれしい初対面

 

 

なわの・ゆか
◎神奈川県藤沢市出身。7歳のとき、父親の仕事の関係でミシガン州デトロイトに転勤。13歳のとき、父親の病気のために帰国。フェリス女学院大学国際文化学科卒業後、大手化粧品会社に会長秘書として入社。23歳で結婚退職後、日英の合弁会社に就職。2004年、長男誕生。2007年、エッグスン・シングスのオーナーより、正式に後継者として選ばれる。2008年9月より、新ロケーションでのオープンを目指し、工事を開始。2009年3月10日、サラトガ本店オープン。続いてワイキキビーチ・エグスプレス店、アラモアナ店、グアム店をオープン。現在は、コオリナ店の開業に向けて邁進中。

(2018年8月1日掲載)

※このページは「ライトハウス・ハワイ 2018年8月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

 

ライトハウス・ハワイのおすすめ記事

『K’ KOKUA REALTY/SHINOHARA CONSTRUCTION』代表 山岸慶子

2024.04.02

開発から仲介までのサポートで喜んでもらいたい。  ハワイは幼少期からの思い出が詰まった場所です。毎年家族でハワイに来て新年を迎えるのが恒例でした。大学はハワイに進学しようと決めていたのですが、はじめに...

『Sacred Hearts Academy』 日本語教師 グラフィア・ナミ

2024.03.01

自分の立ち位置をしっかり定めて社会に役立ちたい。  渡米したのは1998年、サンディエゴの大学と大学院で心理学を学びました。1歳半の頃から、どんなことも「なんで?」と聞く子どもだったんです。好奇心旺盛...