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アランチーノ ・グループ 副社長  稲村 綾

 

 

ファミリービジネスは甘くない! プレッシャー満載の10年間。
今ようやく後継者としての苦悩を乗り越え、ハレアイナ・ベスト・イタリアン受賞

 

 

幼稚園を卒業した5歳の頃、「引退後はハワイで暮らしたい」という祖父の夢を叶えるため、祖母も含め家族5人でハワイにやって来ました。父に特別な起業のアイデアがあったわけでもなく、観光ビザで入国するなど、結構いい加減なハワイ移住でした。

当時の私は引っ込み思案で英語力はもちろんゼロ。学校に行ってもみんなの言っていることがよくわからない。こちらの子のお弁当は、ピーナツバターサンドイッチとリンゴ一個など簡単なものが多く、母の手作りのお弁当は、日本スタイルのお花畑のようにかわいらしく作られたものだったので、みんなに珍しそうに覗きこまれ、とても恥ずかしかったです。母に頼んでもっと簡単なお弁当にしてもらい、箸は入れないでフォークに変えてもらいました。ハワイの小学校では、誰も箸は使っていませんでしたから。

1年も経てば英語力はグングン向上。反面、日本語がだんだん変になり、今度は日本語で話すのが怖くなりました。

 

12歳で反抗期に突入!一人っ子のプレッシャー

やがて、父はワイキキでビアバーをオープン。毎晩帰りが遅くていつも会えないし、友達の家族のように旅行にも行けず。家族を大切にはしてくれるのですが、自分に興味のないことはやらないタイプの父に、知らず知らずに不満爆発。そういう理由もあって、12歳で私は反抗期に突入。父子関係は悪くなる一方でした。

1997年、父がアランチーノ・ビーチウォーク店をオープンした頃、高校生になった私は、将来について悩み始めました。父の仕事を継ぐべきか? それとも自分で何かやるのか? 一人っ子のプレッシャーです。でも、やりたいことをやらないと後悔すると思い、ハワイを離れオレゴン大学に進み経済学の学位を取得。その後、LAで学び、約10年メインランドに住んだ後、2010年にハワイに帰郷。考えた末、父の後を継ぐことを決意しました。今はオフィス勤務ですが、最初は皿洗いからスタート。その後、皿の片付け係りとなり、サラサラ皿の毎日でした。

 

 

ローカルマーケットの 取り込みに成功

父が社長で、娘が従業員という関係は想像以上に切り替えが難しく、互いに親の顔、娘の顔が出てしまうこともありました。社長の娘と言うだけで、周りからは疎外感を感じ孤独でした。「ファミリービジネスっていいね」と言われるけど、そうじゃない。父を越える使命があり、会社を大きくしなくてはならない。プレッシャー満載でした。そこで、自分の得意を強調すべく、英語を駆使して、父が関わったことのない地元英語メディアと幅広く付き合いを始めました。日本人観光客中心のマーケットだけでなく、ローカルマーケットも積極的に取り込んできました。徐々にローカルの方々からも認めていただけるようになり地元誌『ホノルルマガジン』主催の2018年ハレアイナ賞でベスト・イタリアンに選ばれました。この賞はハワイに住んでいる人が投票して決めるもの。だからこそ、ハワイコミュニティーに還元していくことが、今後の使命だと考えています。

親子とは言え、私と父は違う人間。今まで頑張って築き上げた父のアランチーノに、私流の新しさをブレンドして、もっとすごいアランチーノを創っていきたいというのが将来のゴールです。いずれは、メインランド進出を含め、世界中にアランチーノのイタリアンを広めたいと思います。

大好きなフラを習っていた8歳の頃。コンペティションにもよく参加していました

 

 

いなむら・あや
◎1981年、東京都世田谷区生まれ。祖父は医療器具を扱う貿易会社を経営。父はその会社の商社マンとして世界34カ国と取引。世田谷区聖母幼稚園卒園後の5歳のとき、そのビジネスを売却し、家族5人でハワイに移住。カミロイキ小学校、女子校のラ・ピエトラ中学・高校を卒業。オレゴン大学でビジネスを専攻し学位を取得。後にLAに移り、Fashion Institute of Design & Merchandisingで、コンセプト&インテリアデザインを学ぶ。2010年アランチーノ・レストラン・グループ に入社。現在は、副社長としてビーチウォーク、ディ・マーレ、カハラの3店を取り仕切る。家族は夫と犬2匹。

(2018年9月1日掲載)

※このページは「ライトハウス・ハワイ 2018年9月1日」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

 

 

 

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