渡米したのは1994年。役者を目指してニューヨークへ向かいました。日本食レストランでアルバイトをして生活しながら、アメリカを全身で学んでいきました。NYはみんな早口でスラングも飛び交い、言いたいことも伝えられず、最初は英語を上達させるのに必死でした。当時は治安も悪く、お給料は靴下の中に隠して歩いたり、歩くときは早足だったり、緊張感のある日々でした。あるときは、店がマフィアに襲われ銃を突きつけられて両手を上げたことも。2001年にはアメリカ同時多発テロを目の前で見ることに。現実のこととは思えない惨事でした。役者は挫折したのですが、飲食業界にのめり込み、完全にワーカホリックでした。最後は『NOBU』でヘッドサーバーとして、大統領やハリウッドスターにサービスしていました。
気付けば13年、夢を持った人が集まり、24時間眠らない街で、サバイブする術を身に付けつつ、松井選手など日本人がアメリカで活躍する姿を励みに走り続けてきました。
そんなとき旅行で訪れたのがハワイでした。「こんな地で落ち着いて生きてみるのもいいかもしれない」と思ったところ、『NOBU WAIKIKI』が開店することに。2007年、オープニングメンバーとしてハワイに来ました。
最初はNYとのあまりの違いに戸惑いました。店の客層が違い、ビジネスマンを中心に毎日深夜まで混み合っていたNYに比べ、ワイキキは観光客中心で季節によって波があり、収入も半分になりました。一方で得るものも大きく、仕事を離れれば素晴らしい自然があふれています。これはお金で買うことはできません。
その後、結婚して双子を授かりました。まもなくしてパンデミックとなり、ロックダウンの翌日に解雇。約20年間勤務したレストランを去ることになりました。結果的にこの大きな変化により大きな気付きを得たのです。子どもと過ごす時間が増えて、家族4人でいるかけがえのない時間こそ一番重要だと。このとき人生の優先順位が変わりました。
今年6月、カスタムメイドのカーテン専門店『YAMAMOTO DRAPERY』を立ち上げました。ハワイには日本の物がなんでもあると思っていたのですが、自宅のカーテンを探したときにあまりにも選択肢が少ないことに驚いたのがきっかけでした。この値段でこのクオリティーなのかと…。不動産市場を鑑みても日本の良質なカーテンの需要があるのではないかと思ったのです。
しかし、日本のカーテン業者へ一軒ずつ連絡しても話を聞いてもらえませんでした。そんな中で縁あって繊維専門商社を通して京都の老舗織物会社とつながることができました。江戸時代から職人さんが帯を織ってきたこの会社が作る100%メイド・イン・ジャパンのカーテン300種類余りを、ついにハワイで提供できるようになりました。
アメリカに来て28年だからこそ日本の良さを実感しています。今は少し元気のない日本ですが、世界に誇る文化と技術を持っています。用途に合った100%満足できる日本製のカーテンによって暮らしが変わることを、ハワイの皆さんに知ってもらいたいのです。それが日本の応援にもなり、ウィンウィンになることが目標です。
まだスタートしたばかりですが、これまで培ってきた人とのつながりを大切にしながら、ハワイ、日本、そして家族を幸せにするために頑張ります!
やまもと・ゆき◎1967年静岡県生まれ。1994年に役者を目指しニューヨークへ。日本食レストランでアルバイトをするうちに飲食業界に惹かれ、2002年にダウンタウンの『NOBU』で働き始め、サーバーを経てヘッドサーバーに。2007年に『NOBU WAIKIKI』のオープニングメンバーとしてハワイへ。2020年にコロナ禍でレイオフとなる。2022年6月にファミリービジネスとしてオーダーメイドカーテン『YAMAMOTO DRAPERY』開業。
※このページは「ライトハウス・ハワイ 2022年10月」号掲載の情報を基に作成しています。