日本で高校を卒業後、転職した数は8回。常に違和感を感じて悩んでいました。そんな中で、母が看護助手をしていたこともあり、看護師を目指して勉強を始めました。補欠で入学後、必死に勉強し、表彰を受けて卒業することができました。就職したのは医科大でしたが、3年後に燃え尽きてしまいました。古い体質にもなじめなかったので、もっと勉強してチャンスを与えてもらえる環境で仕事をしたいと思ったのです。
海外に目が向いたのはこの頃です。とはいえ英語力はゼロ。留学専門誌でたまたま見つけたのがハワイの大学でした。英語の学習を終了後に看護の勉強ができるというシステムだったのです。英語で出願することが第一関門でしたが、多くの方に助けていただき、約1年かけて留学しました。
こうしてハワイに来たのが2004年です。英語クラスを経て、看護のクラスを受け始めたのですが、医療用語が全く理解できませんでした。今のようにスマホもなく、自分用の単語帳を作って暗記をしました。そして、模擬テストでは一度も合格ラインを超えなかった自分が、粘りに粘って看護師の資格を取得。同年、大学院に進学しました。
ところが今度は、論文制作でつまずき、立ち往生の状態に。そんなとき、障がいがあり、才能もあるアーティストと、そのお母さんに出会ったのです。彼の専属正看護師となり、2011年の東日本大震災後には彼らと一緒に気仙沼を訪問。小学校で絵画教室を開き、子どもたちと『希望のりんご』の絵を完成させました。このとき、ある生徒が目の上を切る大怪我したのです。本人も周りも動転しましたが、失明に至る傷ではないと判断し、応急処置をしてすぐに救急外来へ連れて行きました。この出来事は看護師という仕事を見つめ直す機会になり、自分にとって天職だと気付くことができました。
ハワイに戻った後、論文を完成させ、ナースプラクティショナーの資格を取得しました。ボランティアでお世話になっていた『聖ルカクリニック』で男性初のナースプラクティショナーとして勤務し、経験を積ませていただきました。
さらにステップアップを目指し、大学院へ進学。同時にロングスドラッグス内にあるCVSミニッツクリニックで働き始めました。大学院を卒業してからは、臨床看護学博士として勤務を続けています。
来年でハワイに来て20年になります。語学が不得意だった自分がここまで来られたのは、やはりハワイだからだと感じます。移民が多いこの島は、英語が完璧でなくても理解しようとしてくれる寛大さがあります。今ももどかしいことはありますが、何より大切なのは患者さん自身が自分の体を理解して治す意思を持つことです。それを、あらゆる手段で伝えています。
今後のプランは三つあります。一つは、パンデミックを経験した今の社会で需要が高まっているメンタルヘルスの勉強をして資格を取ること。二つ目は、恩返しです。これまで助けていただいた皆さんへ直接恩返しをすることはできないかもしれませんが、「アロハ・ナースマン」として、地域の皆さんや医療従事者をサポートしたいと思っています。最後は、応援です。私のように日本から男性看護師として留学し、働いている人はとても少ないのが現状です。情報も入手しやすくなった今こそ、挑戦したい方はぜひ行動を起こしてほしいと思っています。そんな方の応援にも力を入れていくつもりです。
なかむら・せいいち◎1976年埼玉県生まれ。看護専門学院卒業後、医科大学附属病院に勤務。2004年ハワイパシフィックユニバーシティー(HPU)BSN入学。08年卒業。同年に浅井力也ミニストリー専属正看護師就任。10年HPU大学院MSN入学、13年卒業。14年ファミリーナースプラクティショナー資格取得、聖ルカクリニック勤務。17年HPU大学院DNP入学。18年現職に。20年同大学院卒業。臨床看護学博士号取得。
※このページは「ライトハウス・ハワイ 2023年5月」号掲載の情報を基に作成しています。