〜身近にありながら気付かずに見過ごしてきたハワイ文化と歴史の再発見〜
ワイキキの裏手を運河に沿って一直線に延びる道、アラワイ・ブルバード。運河の名がそのまま道の名としても使われたのでしょう。
アラワイ運河が完成したのは、1928年(昭和3年)のこと。
運河が造られる以前、ワイキキにはコオラウ山脈の3つの谷から川が流れ込んでいました。
ダイヤモンドヘッド(東)側にはパロロの谷から流れ出た川が、今のアラワイゴルフ場を突っ切ってカパフル通り近くで海に注いでおり、中央の川はマノアの滝からハワイ大学近くを流れる川で、インターナショナル・マーケットプレイスを通って海岸に流れ込んでいました。河口の海底の構造がサーフィンに適したスポットを作っていたとも聞いています。
エヴァ(西)側の川はマキキから、アラワイ運河までカラーカウア通り沿いを流れて、イリカイホテルのあたりで海に注いでいましたが、3本ともアラワイが完成すると、全て運河に流れ込むようになりました。
ワイキキ。ハワイ語でワイキーキーと少し滑らかに伸ばし気味に発音されるこの地名は、湧き出す水を意味しますが、もともとタロ芋畑が広がる湿地帯でした。
17世紀の半ばには、オアフ島を治めていたアリイ(首長)、カークヒエヴァが1万本のヤシの木を海岸に植えたとの逸話が残っており、カメハメハがハワイ島から攻めてきて各島を統一する際に大軍が上陸した海岸でもあります。
そして、王国成立後は王家の人達が家を建てたワイキキですが、20世紀に入るとアヒルの飼育が行われたり、だいぶ不衛生な場所になってしまったとか。そこで運河をして、湿地帯を埋め立て、現在の一大ビーチリゾートへと発展してきました。
コオラウ山脈から貿易風が吹き降りてくる心地良いワイキキ。
アラワイ運河が造られる前は、マノアの谷との一体感溢れる場所だったのでしょう。
でも、現在のワイキキは運河が造られてこそ出来上がった一大観光地。カラーカウア通りやクヒオ通りを中心に発展していますが、近年の歴史をたどってみるとアラワイ大通りは決して裏道ではなく、ワイキキにはなくてはならない道であったようにも思えます。
ちなみに、ハワイ語でアラは道、ワイは水を意味しますので、アラワイは「清い水の道」。運河そのものですね。
(2017年9月1日掲載)
◎ ビショップ博物館ドーセント
旅行会社勤務時代よりビショップ博物館でドーセントのボランティアを開始。2003年より同博物館の会員代表機関 Bishop Museum Association Council の唯一にして初の日本人メンバーに。ハワイの歴史、文化の研究に取り組む