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ハワイのベストウクレレメーカー「カマカ」~ウクレレ100年の歴史

1916年、サミュエル・カイアリイリイ・カマカがたった一人からスタートさせたハワイのウクレレメーカー「Kamaka Ukulele and Guitar Works」(カマカ・ウクレレ&ギターワークス)は、息子たち孫たちへ秀逸な一品を作り上げるウクレレメイキングの技法を伝えながら「Kamaka and Sons Enterprises」、「Kamaka Hawaii, Inc.」(カマカ・ハワイ・インク)へと成長し、2016年にマイルストーンとなる100年の節目を迎えた。ハワイのベストウクレレメーカー「カマカ」の長い歴史をさかのぼってみた。
(Text: Mineko Takeda, Photos: Tor Johnson)

ウクレレ・メーカー「カマカ」~100年の歳月、その歴史を振り返る

カマカのウクレレ1916年、サミュエル・カイアリイリイ・カマカが、ハワイ・ホノルルのカイムキ地区の自宅で始めた「カマカ・ウクレレ&ギターワークス」。それまでウクレレ作りは主にポルトガル系移民たちの仕事だったが、サミュエルの作るウクレレはその質の高さで評判となり、今やウクレレ・ファンなら一丁は持っていたい憧れのウクレレメーカーとして世界中にファンを持つ最高級ブランドだ。しかし工場を兼ねるハワイの店は少し拍子抜けするほど簡素で気取りがない。
 
ドアを開けると小さな店のショーケースの向こうで優しい笑顔のお年寄りが客を迎える。サミュエルの次男にして、カマカ・ウクレレの副社長であるフレッド・カマカ氏である。今年91歳という高齢でありながら、今も店に立ち、ファクトリーツアーのガイドをすることも多い。
 
「若い頃ミュージシャンだった私の父は、1910年に家出同然の状態でハワイを出て、7千マイル離れたニューヨークで成功を夢見ました。しかし現実は厳しく、失意のままヨーロッパへ渡り、イタリア、ドイツ、フランスを転々としながらハワイへの船賃を稼いだそうですが、そのヨーロッパでの経験が父の楽器作りの大きな糧となりました」。
 
楽器作りの本場ヨーロッパで、バイオリンやチェロなど、弦楽器の作り方を学んだサミュエルは、ハワイに戻り独自のウクレレ作りをスタートさせた。ハワイを離れて5年以上が経過していた。1921年、サミュエルはキング通りに新しい工房を構えた。カマカのシグニチャーモデルである楕円形のウクレレ「パイナップル」もそこで誕生した。
 
「1926年、父は1歳になった私にパイナップルの模様を入れたウクレレを作ってくれました。私は今年91歳ですが、90年経った今もその音色は健在です」
 
母親が学校の教諭だったため、フレッドは毎日父の工房で過ごし、5歳の頃にはすでにウクレレ作りを始めていた。
 
「兄が母の勤める小学校に上がると遊び相手もいません。仕事をする父と一緒にショップで1日を過ごすだけだったので、いつの間にかウクレレ作りが、唯一自分にとっての遊びになりました。小学校に上がると、兄も私も学校から帰宅すると毎日工房でウクレレ作りを手伝わされました。私たちなら給料を支払う必要もありません。私たちはそうして18歳まで無償で家業を手伝わされました。不満ももちろんありましたが、おかげで子どもの頃から工具を使い馴れ、兄も私も大きな怪我をしたことがありません」

ハワイのウクレレメーカーの倒産機器

カマカ・ウクレレの経営陣
カマカのウクレレを支える経営陣
前列左から:サミュエルJr.(社長)、フレッドSr.(副社長)、後列は二人の息子と孫たち左から:ダスティン、クリストファー、クリス、フレッドJr.、ケーシー

1930年に入ると世界恐慌を受けてアメリカには失業者が溢れ、ウクレレの販売は激減。それまで1丁10ドルだったウクレレが5ドルに下落。それでも買う人がなく、ウクレレメーカーはほぼ全てが倒産に追い込まれた。そんななか、ハワイのカマカの品質を認めていた横浜の貿易会社がカマカに声をかけてきた。日本の会社が提示してきた卸値は1丁2ドル50セント。考えられないほど破格での取引となったが、運搬費用と関税は日本の会社が持つことでかろうじて手元に2ドル50セントが入ったこと、支払いも非常に良かったことで、ハワイのウクレレメーカーが全て潰れたなか、カマカ・ウクレレだけは命拾いをしたのだった。
 
「私の父はよく言っていました。『Japan always paid us. 日本は決して支払いを踏み倒さない、信用できる』と。あの時日本と仕事をしなかったら、カマカ・ウクレレの歴史は終わっていたと思います。100周年を迎えられたのは、日本のおかげだと私たちは感謝しています」。
 
1945年、サミュエルは、息子たち2人を食卓に呼び、一枚の紙を前に、2人の息子をビジネスパートナーに迎え「カマカ&サンズ・エンタープライズ」と社名を変えて新しいスタートを切ることを発表した。その時サミュエルは「お前たち兄弟は、この先2人で力を合わせて一生このカマカの名を持つウクレレを守っていくように」と伝えた。しかし、その6カ月後、第二次世界大戦が始まると、サミュエルJr.とフレッドは軍に入り、戦後、サミュエルJr.は博士号取得のために大学ヘ進学。サミュエルが病に倒れたため1952年にカマカに戻った。フレッドは軍でキャリアを積み、カマカを離れて7年後の1953年に朝鮮戦争から帰還。2人が見守るなか、その年12月にサミュエルはハワイで息を引き取った。
 
「父が亡くなった後、父に代わってビジネスを切り盛りしたのは兄でした。私はその後も軍人としてベトナム戦争に行っていたので、長い間兄一人に任せきりでした。その間に6弦モデル、テナーモデル、オータサンのベルシェイプなど、兄は名器を数多く生み出しました。それらは今もカマカの人気モデルとして多くのファンに愛されています」

カマカの音色の美しさを生むハワイ原産のコアウッド

カマカの音色の美しさはハワイ原産のコアウッドを使うことにある。伐採した木材を日の当たらない場所で長年かけて乾燥させたものでないと良い音色のウクレレは生まれない。ウクレレの素材として成熟するまでに時間がかかること、またそれ以前に、種の保護のために現在コアの木の伐採が禁止されており、ハワイ州政府によって決められたエリアから定期的に伐採が許可されたコアの木だけしか切り出せない現状など、素材の調達が非常に難しくカマカの誇る美しい音色の存続には苦労も多い。

ウクレレの製造工程
(右上)厚みを整えて磨きをかけたコアの板を枠型にはめてウクレレの原型を生む/職人ごとに担当が決まっている。毎日同じ作業を繰り返すことで身についた確かな勘が生かされる。一人ひとりが真剣そのもの/(右下)ファクトリーツアーは単に見学するだけでなくウクレレのパーツを指で触るなど、和やかなムードのなかで進められる
ウクレレの製造工程
(左)ボディーとネックが繋げられウクレレが完成に近付く/(右)ヤスリがけなど微調整を加えながら理想のパーツに

この先の100年もカマカのウクレレを家族で守っていってほしい

1968年、カマカ&サンズ・エンタープライズは「カマカ・ハワイ・インク」と名を変えて法人となった。現在はサミュエルJr.の長男クリスが製造責任者を、次男のケーシーがカスタムショップを、フレッドの息子のフレッドJr.が経営責任者を務め、クリスの息子たちもビジネスに携わっている。ケーシーはジェイク・シマブクロやブライアン・トレンティーノのカスタムモデルを手がけるルシアーとして著名だ。

抜きん出た技と完璧性が一丁のカマカを生む
抜きん出た技と完璧性が一丁のカマカを生む

「父の口癖は『ジャンク(ガラクタ)を作るな、ジャンクは壊して捨てろ』でした。そして息を引き取る前に、カマカのウクレレはカマカの名にかけて守るようにと、兄と私に念を押しました。私たち兄弟は自分の子どもたちにカマカ・ウクレレを継げと強いたことはありません。それでも兄の長男クリスはフラ・ハラウでウクレレを弾いていたこともあり、次第にビジネスに興味が湧いたようでした。私の息子のフレッドJr.も、兄の次男のケーシーも、孫たちも、いつの間にかここで働いています。彼らは皆、カマカの音を聴いて育ったカマカたちです。未来を任せられる頼もしい存在です」。
 
現在カマカのウクレレは、完成品をカマカ家の3人が細かくチェックしている。そこでお目にかなわないものはその場で壊して破棄され、3人のお墨付きとなったウクレレだけが商品として出荷されている。

カマカ・ウクレレの歴史を知るのにおすすめは、ハワイでのファクトリーツアーへの参加

ハワイのカマカ・ウクレレでは毎週火曜日から金曜日まで、ウクレレの歴史やカマカ・ウクレレの歴史をひもとき、工場内を見学できるツアーを行っている。工場内では、ウクレレとカマカの歴史についてレクチャーを受けた後に、工場で加工前のコアの板を見たり、研磨の状態を触って確認したりと、カマカのウクレレができあがるまでのプロセスを実際の製作現場で見学することができる。またコア不足によってマホガニーやローズウッドに素材が変わったパーツなどについて知ることも可能だ。
 
ウクレレ専門店でさまざまなウクレレが並んでいるなかで見るとカマカは少し値が張ると感じる。果たしてそれが高いのか安いのかは、ハワイでのファクトリーツアーに参加すればわかるに違いない。素材作りから始まり、カマカのブランドに恥じない1丁に仕上げるために、人の手と時間をかけて誠心誠意ハンドメイドするからこそ生まれる音色がカマカにはある。100年間受け継がれてきた技術を守り、これからの100年もカマカの美しく澄んだその音色をハワイの空の下に響かせていてほしい。
 
カマカ・ウクレレ・ファクトリーツアー◎ カマカ・ウクレレ・ファクトリーツアー
Kamaka Hawaii, Inc. 550 South Street, Honolulu, HI 96813
▶ 催行日:火曜日~金曜日(参加無料)
▶ 時間:10:30AM(事前予約不要)
▶ 営業:月曜日~金曜日 8:00AM~4:00PM
☎ 808-531-3165 / FAX:808-531-3167
▶ E-mail:mail@kamakahawaii.com
▶ Webサイト:www.kamakahawaii.com

Fred Kamaka, Sr.

フレッド・カマカSr.1925年ハワイ・オアフ島カイムキ生まれ。カマカ・ウクレレの創設者サミュエル・カマカの次男。5歳よりウクレレ工場でウクレレ作りに参加、ワシントン州立大学卒、アメリカ軍入隊・朝鮮戦争・ベトナム戦争ベテランに参戦、1972年よりカマカに戻り兄サミュエルJr.の下で共同経営者としてセールス、マーケティング、経理などのビジネス面を担当

(‘Eheu Summer 2015号掲載)

※このページは「‘Eheu Summer 2015」号掲載の情報を基に作成しています。最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

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